殆んど同じに考えられるのであって、思索や読書や意見の発表が単に処々で個人々々で行なわれている間は、之は全くの私事にぞくするが、夫が多数の人々によって規則的に行なわれる一つの現象となると、注目すべき公的な「社会現象」になるわけで、その結果は単に意見の宣伝や意志の表示ばかりではなく、個人的な読書さえが文化警察権の支配下に立たされるようになるのである。
私的な生活が決して公的な社会的な生活から切り離すことが出来ないのは、以上云ったような点からだけ見ても明らかで、その結果、極端に考えれば、私的なものとの区別は厳密には与えられないということになりそうだが、もし夫が本当なら、吾々の生活の凡てのアスペクトが、皆警察権下に横たわることになるだろう。そういう馬鹿げたことがない以上、或いはそういう馬鹿げたことがあってはならない以上、私生活と公的な社会的な生活との区別は、いつも残存しなければならない筈だ。
処が、私的なものがやがて公的なものへ何時の間にか移行するという今云った事実を、ある目的の下に逆用して、私的生活にぞくするものを、勝手に公的な社会的なものと見做すという手段によって、警察権はいくらでも私
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