いうものをモラルの一つの契機に数えて来た。そのモラル自身には常識とその超克としての文学とが区別されるのである。つまり論理にも「常識」的なものと「文学」的なものとがなくてはならぬ。そして今私は正にこの意味での文学的[#「文学的」に傍点]論理、文学的[#「文学的」に傍点]思想、文学的[#「文学的」に傍点]評論、そして文学的[#「文学的」に傍点]社会時評、を主張しているのだった(「常識」のもっている意味の二重性は別に注目されねばならぬ、同時に「文学的」であることの意味の二重性もまた)。――この文学的[#「文学的」に傍点]社会時評は、恐らく一種の風俗文学[#「風俗文学」に傍点]に属するだろうと思う。
[#改頁]
7 思想的評論について
一[#「一」はゴシック体]
論壇時評は最近、色々困難に遭遇しつつあるように見える。論壇時評なるものが何であるかというようなことは、しばらく措くとして、とに角その月々の雑誌や新聞や又新刊書に現われている論説を批評することは、特にそれが新聞に載る場合、一つの大きな制限にぶつかるのである。今日の新聞はその政治的意見の発表が極めて窮屈であることは誰知らぬ
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