なければならぬことは、普通の読者がまず眼を通そうとするもう一つのものが連載小説だという点である。ここに新聞小説と社会面との或る連関、従って又新聞小説の一種の娯楽的性質が注意されていいと思う。
 どうせ新聞小説は通俗文学や大衆小説だから、娯楽のようなものに過ぎない、という意味ではない。むしろ逆に文学者こそ社会の日常非常の現象の最も行き届いた批評家であり、もし仮にそういう文学者の作品をも通俗文学や大衆小説と名づけるならば、文学はすべてそういう意味での通俗文学や大衆小説でなければならぬ、というべきだろうと思うのだ。
 純文学の神様と見做され、純文学青年の偶像となっているらしい横光利一も、実はそういう点で極度に社会的に、従って(今いった意味での)通俗文学乃至大衆小説にはいる作品を書いている(例『花花』)。この点から見れば菊池寛が著しい社会面的事件から多分のヒントを得ているらしいのと、あまり区別はないだろう。
 これを娯楽といって了うのには無論語弊がある。だが大事なのはこの娯楽が他の種類の娯楽と違った社会現象の出現から生じる娯楽だという点だ。というのはこれがやがて井戸端会議の内容にもなるしサラリーマンの話題にもなる。省線や床屋での会話や議論の種にもなるのだ。この娯楽はすぐ様評判や批評にまで発展する種類のもので、実は社会人の誠実な社会的関心のごく無自覚な皮相面にほかならないのである。大衆性乃至通俗性(この言葉を使うのは随分と厄介な用意が必要だが)をもつべき文学(今のところ小説)が、だから一種の娯楽の意味を有つということは、文学の冒涜でも何でもなくて、文学が如何に社会人の社会的感覚に接着しこれに食い入っているものであるかを、或いはそうあるべきものであるかを、告げているにすぎないわけで、ただ社会人のこの社会的感覚そのものがごく皮相面にとどまる限りは、その文学は単なる娯楽の対象に止まるわけで、実際上からいってそれだけで新聞小説は充分多数の読者を有つことが出来るのだ。ただこのおなじ小説も、社会人の社会的感覚が自覚的な社会的関心にまで発展し、社会に対する誠実な省察にまで深度を増す時、やがて立派に文学的な対象物として要求される、というわけだ。
 これを別の言葉でいい表わせば、社会面に現われる新聞記者的「常識」は、連載小説などにおける文学者的「モラル」(これが最高の文学的モラルだといわぬが)に直接連続しているのである。真のモラルは一般にそう考えられている通り、所謂常識的なものの否定克服だろう、だがモラル(もっと気取らずにいえば「道徳」のことでもっとアカデミックにいえば「倫理」という名もある)は、社会感覚・社会意識を離れてどこにも成り立つことは出来ない。そうでないようないわゆる「モラル」という言葉は、往々愛用されないではないが、それは一つ覚えからくるナンセンスな方言の典型にすぎない。でそうすればモラル=道徳も元来常識なるものから独立して成り立つことは出来ない。常識こそ一つの低級なモラルであり、モラルこそ新しい常識への進出だ。常識を否定するのにはまず常識から踏みはじめねばならぬ。――こういう意味において文学は社会人にとって、いわばごく健全な[#「健全な」に傍点](常識は古来「健全」なものと相場がきまっている)娯楽性をもっているのが当然でなくてはならぬ。文学の面白さというものの一つはこの社会面的なものにあるのかも知れない。

   四[#「四」はゴシック体]

 いうまでもないことだが、帝人事件などについては私は何等関係もない。にも拘らず私は人一倍これに興味を覚えた。なぜかというと、それは立派にモラル=道徳の問題だからである。収賄や贈賄が悪いとか、検事の人権蹂躙が人道に反するとかいう意味ではなく、金融資本主義下における金融資本家やその番頭達が、その資本の番犬としての技術的使命を果すためには、如何にブルジョア道徳そのものにショックを与えないではおかないか、またそれを無理にも処罰しようとするブルジョア法律自身が又、如何にこの同じブルジョア道徳に同じくショックを与えずにはおかないか、というような、この社会における活動的支配者のモラルの矛盾に私は興味をひかれるからだ。
 堂々たるブルジョアや要路の大官が法廷で泣涕したりするだけでも、単にいくじがないとか態を見ろとかいっては済まされない問題を含んでいるので、正に彼等のやがて又この支配者社会の、モラルの道徳的断層を法廷の舞台にさらしたものにほかならないのである。私はまだ和田氏の『人絹』を読[#「読」は底本では「続」と誤記]んでいないから、この作品そのものについては何もいえないが、少なくとも、こういう種類[#「種類」に傍点]の作品が示唆するところの、社会現象と文学的モラルとの不可欠の連関の要点を積極的にハッキリつかもうとし
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