った。わが国現下の検閲は、恰もこうした矛盾の象徴そのものに他ならぬのである。
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10 衣裳と文化
和服と洋服について[#「和服と洋服について」に傍点]――或る地方大新聞の社長は自分の工夫をした和洋折衷の服装を宣伝している。大体に於いてツツッポにモンペという姿であるが、私が貰った写真で判断する限り、決して見っともいいものではないのである。私がもしあの服装でもしなければならぬとすれば、私の思想は一遍に涸渇し、私の舌は忽ち硬ばって了うだろうと思われる。単に異様だというだけではない。異様なだけなら自分自身が気に入っている限りは、却って気勢が揚がるもので、オスカー・ワイルド式なやり方もあるし、ラッパ・ズボンをはいたモダーン娘のような場合もある。困るのは何としても自分自身に審美的に満足を与えないということであり、自分自身に風俗上の不安を与えるということなのである。
和服を人工的に洋服と折衷しようとする企ては、右の例に限らず、殆んど凡て失敗のようだ。最近ではもう改良服の運動の類は屏息して了った。婦人の和服の場合特にそうだ。従来の和服か、それとも洋服かということになっている。而も不思議なことには、或る社会層の或るジェネレーションの婦人の服装を見ると、和服と洋服の区別こそあれ、それによって得られる風俗上の効果はその本質を殆んど同じくしているのである。インテリ・モダーン娘の場合には、和服を着ても洋服を着ても、殆んど変る処のない或る風俗上の常数が見出される。こうなると和服と洋服との区別は根本的には殆んど無意味になってしまうのだ。
之は和服というものが元来の約束であった和装[#「和装」に傍点]という条件から離れて、和服である点では少しも変らぬに拘らず、いつの間にか洋装[#「洋装」に傍点]の条件に嵌って了った場合であって、和服と洋服との結合はこうした意味な形で、現にごく審美的に成功しているわけだ。――だがこんな場合は、有閑層の而も若い女に限る特別の場合で、一般には和服と洋服とは恐らく永久に相交らない二つの文化を象徴している。
男の場合、官吏やサラリーマンは殆んど例外なしに洋服で出勤する。洋服は都市を中心として男の普通の服装となっている。処が女は決してそうではない。モダーン・ガールの約半数と職業婦人の一部分が洋服であるにすぎない。ではなぜ男の洋服が成功して女の洋服はまだ充分に成功しないか。女は和服の色彩と図案との方を、洋服の形態よりも尊重するからだろうか。少なくとも洋服に就いてよりも和服に就いての方が、知識と見識に自信があるからだろうか。又結局に於て今日では和服の外出着の方が経済的だろうか。そのどれでもあるだろう。だが之は本当の原因ではない。女の洋服の流行が成功さえしていたら、今日ではもはや解決済みだろう問題ばかりだからだ。
原因は労働様式にあるのである。男は外出して電車に乗り椅子に腰かけ又歩き回らねばならぬ。男の洋服がこのための労働服として採用されて今日のような普及を得ることになったのは、人の云う通りである。女の洋服はそうではない。少なくともモダーン・ガールの洋服は労働服としてではなくて、主に消費生活用の服として評価されねばならぬ。消費生活用でも近代消費生活は裾さばきの安全な洋服を要求するのは勿論だからだ。だから職業婦人の多くのもの(ユニフォームを着る場合やモダーン・ガールに編入されるべき場合を除いて)は、洋服ではなしに却って和服の上に各種のエプロンを纏う。女の場合には洋服はまだ労働服としての価値を充分認められない内に、消費生活服の意味が勝って来た。で勤倹な多くの職業婦人は洋服に遠慮しているのだろう。
婦人の洋服が決定的に流行しないのは、婦人の労働の大部分の場合が家庭内労働であり、而もこの労働職場が畳式に出来ているので、和服は或る程度まで労働服の役割りを果すのである。少なくとも外の近代的施設の下で働かないので、洋服を労働服として要求しないのだ。勿論畳式家庭内労働でも立居振舞にとって和服は理想的なものではないから、却って家の内では安価な洋服をつける主婦は少なくないが、之は家庭外の社会に出ると忽ち通用しなくなる。男は街頭を勤労者として歩くが、女が街頭を歩く時は主に消費者として歩くからである(男は家庭に這入ると消費者となるので、大抵和服に着かえる)。とに角男の背広と女の和服の外出着とを較べると、一方が近代的労働服で他方は近代的消費服である。女は社会に於ける労働服についてまだ一定の制度を持っていない、その服装に迷っている。が、消費服については、和服は和服、洋服は洋服で、決して迷ってはいない。そして家庭内労働服についても殆んど迷わない。男は之に反して社会労働服としては立派な制度を持っている。が、家庭内消費服となると大分乱れて来る。まし
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