たら、受験術の教育はおのずから小学校教育の締めくくりにさえなるかも知れないので、受験準備も一概に非教育的なものとは限らぬことになる。それに試験を受けるということも、実は児童に対する一つの社会的教育でさえもあるかも知れないではないか。
 従って小学校の本来の教育が理想的なものであるが故に、そのプログラムに於て公認されていない受験準備の教育は、それだけで反教育的だというのなら、それは文部省的思い上りと云わねばならぬ。で、教育家や先生や文部省の役人が、受験準備を呪う心情の内で取るべきものは、単に人間的教育そのものの歪曲に対する呪いだけであって、所謂小学校教育の大方針から外れたからと云って、準備教育を悪魔のように呪うのは見当違いだろう。一体小学校の本来の教育方針そのものが、人類教育の歪曲でなく、例の人類に対する冒涜でないと、誰が保証し得るのだろうか。
 で以上から結論されるように、入学試験準備の問題が、世間の問題になるのは、或いは世間の問題としての権利を有つ点は、結局に於て、之が自然な真理の可能性に富んだ子供の精神を明らかに歪曲する、というただ一つの事実にあるのである。そして而も之が、児童の身心の形式的な発育をさえ妨げることになるというのだから、この事実が一種の実証的な根拠を得て来るのである。――前にも云った通り、一般に受験準備なるものは、人生の一つの不可避な不幸であって、之に就いての訓練は、そのものとしては立派に教育的価値を有っている。このことを忘れてはならないのだが、併し他方、例えば就職運動にばかり巧みな男は、決して社会的に意味のある男ではあり得ない、ということの真理の方が、この際一層大切だ、というのである。
 だが之は少しも問題の内容の説明でもなければ、ましてその解決でもない。以上は単に、この問題がどういう点で問題になっているのか、又されねばならなかったのか、という説明だけだ。――処が、入学試験が現に存在している以上、受験準備の必要は絶対的なので、受験準備の善悪に拘らず之は必然なことにぞくする。少なくとも入学試験が現存する以上はである。
 そこまでまず第一に考えられる解決策は、何とかして入学試験そのものを不要にしようという企てである。一体入学試験の必要はどういう機構から生じるかというと、云うまでもなく夫は、中学校なら中学校の教育に値いする人間だけを選択し、教育の価値の
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