、こうした真実な意味と莫迦げた意味とがあるということなのだ。丁度職業にも、社会的リアリティーとしての意義があると同時に、職業的賤しさがあったと同じに。
でこの裏と表とのある職業人専門家なるものの一般的な事情は、文学者、文士にも亦特別な形であてはまるわけだ。文学者・文士として主だったものは、今日の日本では作家であり、特に小説家[#「小説家」に傍点]なのだが、職業人=専門家としての小説家に、どんな真実と社会的リアリティーとの積極性があるか、又同時に、莫迦莫迦しさと職業的な卑小さとがあるかが、一考を要する点だ。
今日の日本の読書子の有態の感想を正直に述べさせるなら、月々の評論雑誌や文芸雑誌や文芸同人雑誌に載る小説(主に短篇中篇小説)を読んで、恐らく誰でも、何と無駄なものが多いことだろうと慨嘆するのではないかと思う。忙しいのに読まされて腹が立つと云った種類のものが決して少なくない。之は広く文化現象の上から云っても、文学界の権威から云っても、まして作家自身にとってはなお更のこと、不名誉なことだ。だがそれはそうでも、こうした本質的にクダラないガラクタでも、毎月相当の分量のものをしかも夫々のヴァラエティーを与えて発表し続けるということは、決してそんなに馬鹿にはならぬことなのだ。ここには素人の真似の出来ない職業的訓練があるのである。そして実際、こうやって低調ながら職業的持続を持ち応えて行ける者は、持ち応えている内にいつかは又いつの間にか、少なくとも多少の真実とリアリティー[#「リアリティー」は底本では「リアリアティー」と誤記]には逢着するのだ。之は専門家でなくては一般的には期待出来ない事情ではないかと思う。
一つ二つの可なり優れた短篇小説を書くことは、比較的偶然にも出来なくはないが、多数の駄篇の発表を通じてともかくも相当な創作を略々コンスタントに発表するということは、そう容易なことではあるまい。この点、多作か寡作かというような数量や又良心の問題などとは割合関係なしにそうなのだ。――之は職業的な専門的作家の寧ろ積極的な価値ある側面のことだが、併し他方、こういうことをすぐに思い出さねばならぬと思う。考え方によってはこうした職業的訓練は実はそんなに驚くべきことでも何でもないので、誰でも、特別にポジティヴに素質が悪くない限り、或いは一人前の性格力さえあれば、夫々の道に於て、今言った程
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