確かに読者も分析型のものの代りに主張型のものを求めているらしい。夫は必ずしも分析型に飽きあきしたからだとは云えないが、少なくとも主張型の方が新しく従って新鮮だからだ。と共に、読者というものは気が短かくて要するに結論[#「結論」に傍点]というものを早く簡単に読みたいということもあるので、処がこの結論というようなものは分析型の分析の結論のことではなくて、実は文章に於ける第一テーゼのことに他ならないから、結局之は主張型の主張[#「主張」に傍点]のことになる。
単に従来の読者がその一般的な生来の習性や、又特殊の之までの慣性から、主張型に漠然として期待を有つだけではない。読者を所謂読者の資格から見ずに一般民衆の要望の代表者として見ると、今日の日本の民衆は、必ずしも強烈ではないが併し甚だしく瀰漫した社会不満を有っているのである。社会不安[#「不安」に傍点]というものにはつきないので、社会不満[#「不満」に傍点]なのだ。不満であっても決して積極的なものではないのだが、併し不安というものと同様に消極的なものではない。日本の今日の大衆は不満に充ちている。之が今日主張型の言論を要望させる一等根本的な要因ではないだろうか。
この要因は処で、色々なものに連関している。文学の思想性という問題の一つの意味は、作品の分析[#「分析」に傍点]的な真実の代りに作品による思想の主張[#「主張」に傍点]を尊重せねばならぬということであったと思う。文学の思想性は一面に於ては文学の社会的認識・社会的分析[#「分析」に傍点]の重大性ということにも帰着するが、他方に於て思想の主張[#「主張」に傍点]という指導的な積極性に帰着するのである。だからこの問題は一方に於て文学のリアリズム(乃至広範に理解された社会主義的リアリズム)の強調に帰着すると共に、他方一種のヒロイズム(同じく広範に理解された革命的ヒロイズム)の強調に帰着する。そしてこの際、一見、リアリズムの方は分析型に、ヒロイズムの方は主張型に、相応するわけである。
ロマンティシズム・ヒューマニズム・等々もこの角度から見る限りは、分析型に対する主張型の強調ということに帰着するので、勿論積極的な意義のあることだ。併し所謂「ロマンティシズム」(リアリズムに対立する処の)も「ヒューマニズム」も、私には十分納得の行かないものがあるので、つまり分析にも主張の説得力に
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