で、公判開始以来ずっと「減刑運動」が行われていたのである。世間では、法廷に於ける被告の態度や答弁や見解が、細々しく新聞紙によって報道された結果だとも云っているが、もしそれが本当ならば、「減刑運動」を宣伝し煽動した功績は殆んど専ら新聞紙に帰するわけだ。何かの意味に於て同情するもののために(或る弁護人は「大乗的に肯定する」と云っているが東洋には中々ウマい言葉がある)刑を軽くして欲しいという意志を正直に発表することは、ウッカリ物など云わない方がいいと云ったような知恵が専ら行われている現在の日本では、それ自身推賞すべき道徳で、立派なことであるのは云うまでもないが、併し裁判は大権にぞくすることで、量刑の問題に就いて人民は容喙してはならないのが立前だ。軍部と司法当局とが公判事務上の打ち合わせをしても、大権干犯の疑いを生じる世の中だから「減刑運動」は一般的に云えば、同じ疑いを招かずには措くまい。けれども「大衆」(?)はなぜか調子に乗ってこの×××減刑運動の計画を進めることを止めない。
朝日新聞「鉄箒」欄(八月十七日付)で河野通保弁護士が法律家の立場から、所謂減刑運動に対して警告を発しているのは時節
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