な場合が出て来るものと覚悟しなければならぬ。総長の具申云々は初めから当然で、之は「特別な場合」でない場合のことだから、特別な場合には総長の具申を俟たずにやるかも知れぬ、而も前例などに依らずにやるかも知れぬ、という文部省側の宣言がこの妥協案の意味ではないか。(特別な場合とは無論前例のない場合のことだ。)留任教授達がこの妥協案を見て留任する理由又は口実が見つかったと思ったのならば、余程のウスノロだと失礼ながら断言しなければならぬ。
 一体、この妥協案で留任教授達は、どういう得をするか計算して見たのか。滝川教授が前例にならないことや総長の具申を必要とすることは、初めから当然なことで、何等事前よりも有利な条件ではないではないか。その代りに彼等は何を失ったか。滝川教授の他に、更に少くとも七教授、講師以下八名の多少とも滝川教授と同じに進歩的な分子を、損失に追加しただけではないか。
 これで京大問題が解決すると思うのは、もし京大問題が滝川問題に代置されたものでないなら、よほどどうかしているだろう。これは滝川問題の解決ではなくて、正に滝川問題の論点自身を十数倍したもの以外の何物でもないではないか。

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