ら吊下げたりすること(五月三日付東京朝日新聞二頁)は、必ずしも所謂暴力団ばかりがやることではないのである。
でこういう風に考えて行くと、今度の暴力団検挙にも、明らかに一定の社会的な限界があるということが見当づけられると思う。之は別に、検察当局が外部のどこかから牽制されるというような原因に基くのではなくて、検察当局の国家的従って又社会的な権力半径の本性から来る制限なのである。一般に非合法乃至半合法の個人的団体的又公的でさえある暴力(単に物理的暴力に限らず結局に於て物理的暴力を指向する言論上の暴力をも含めて)を取り締ることは、苟くも警察の本然の機能が社会人の日常生活の保護にある以上、最も代表的な警察機能でなくてはならぬ筈なのだが、それがこの社会では一定の行動半径の外へは決して出ないのである。この社会に於て本然的警察機能はこの通り決して無条件に発揚され得ないのだが、一方社会人の日常生活の保護には、殆んど何等の関係もない思想警察の方は、殆んど無限の権力半径を許されているのである。こういう重大な比較を抜きにして、左翼弾圧とギャング狩りとを天秤にかけようとする社会人がないでもないのを見ると、私は
前へ
次へ
全402ページ中348ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング