が実証的な納得が行くということは、こうした方向にこそ警察本来の本然の有用性が横たわっているということを物語っている。従って又、これ以外の警察権力の発動は、大方世間が必ずしも実証的には納得が行かず、高々イデオロギッシュに「そうかナー※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」と思われる程度のものにすぎず、従って多くは無用で却って不都合でさえあるように考えられ得るものだ、ということを告げている。政治家などは人気恢復の材料がなくなると国体明徴の演説をやったり何かし始めるが、所謂機関説の是非は専門的に研究して見なければ判らぬが、少くとも機関説が国民の生活を直接に妨害するという実証的経験を有った人間は一人もあるまい。菊池男だって鈴木総裁だってそういう実証的体験は持っているわけではないだろう。一般に思想警察などは民衆自身の身辺からは縁遠いものであって、之は国家や財界の特殊な要路にでも立たない限り実証的な心配の種になるものではない。民衆は思想警察が一体何のためにあのように眼の色をかえてかけずり廻っているかが、簡単には飲み込みがつかないというのが事実だろう。読者はこの点よく反省して見て欲しい。
 風紀警察にな
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