学内行政進出を防ぎ得たからである。今日の私立大学の大先輩達が、大学を自由にするのは、自分達の自由にする意味であって、大学の自由を与える意味ではないという事実を、併し若い卒業生や学生は知らなかったか又は過小に評価していた。野上氏が退いてその結果は、校友理事達の云わば美濃部排撃的な常識が権力を持つことになって、自由主義教授達は尽《ことごと》く追い出されるか時間を激減されたのであるが、頭の良くない法政の学生や若い先輩は、今更のように驚いて、之を一種の偶然な原因に帰している。この間『社会評論』の四月号に出た法政騒動談を読んで見たが、矢張法政一流の偶然観的社会分析(?)しかない。――野上氏の人格などとは関係なく、法政の条件は分析されねばならなかったのだ。
 野上氏は長く関係していた法政をやめて、九大の英文学の講師をしたり、能の本を出版したりして、愉快そうにしているが、之は一体どうした間違いだろうかと思う。なる程野上氏には之で見ると、あまり「愛校心」はなかったようだ。
 内田百間氏は免職と同時に続々として随筆集を出版して敵味方を驚かした。氏の作品を見ると、私は氏が一種の被害妄想狂であることを信じる
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