、彼等両巨頭が、突然、日本民族の優秀性やアジア民族と世界資本主義との対立、対支那及び対アメリカ戦争の積極的肯定や天皇制の強制、其他其他を主張し始めたというのである。ロシアにもどこにも行ったことのない吾々は、コミンテルンというものがどういうものかは良く知らないけれども、少くとも共産主義[#「共産主義」に傍点]というものは、凡そこうしたファッショ的テーゼの正反対をこそ主張するものだと思っていた処だから、全く途方もない「転向」もあったものだと思ったのである。世間の人達が、これをファッシストによってディクテートせしめられたものに違いないと信じたのに無理はない。
 処がその日の夕刊を見ると、無産弁護士団が、この両巨頭を市ガ谷刑務所に訪問して、二人が「顔色一つ変えず」に、夫が本当だと断言するのを聴いて来たと報じてある。そして刑務所帰りの弁護士達の写真までがその証拠として掲げられている、ということは即ち新聞に出たことが決して「デマ」ではないということである。と同時に、この転向がファッショなどにディクテートされたのではなくて、完全に自発的に「心境の変化」を来したことに由来するものだということになる。で
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