はよく人から聞く処だ)、少くとも歌よみ人である処から、この弱々しさが出て来るのでもあるが、併し他方大塚氏は、理論家乃至分析家というよりも寧ろ卓越した資料の占有者だということから、その筆致の地味な処が出て来ると見られるだろう。或る人は氏の書く「論文」を退屈だと云っているが、それはこの二つの点から来ることだ。
 資料の占有者だという意味は、決して単に資料を沢山持っているという意味ではない。氏は吾々と大して変らないような生活をしているように見えるから、失礼な想像だが、某々華族や貴顕紳士お近づきの歴史家ほどに沢山資料を有っているとは思えない。資料の占有は資料に就いての知識とその知識の整理とに、つまりそうした資料取り扱いの心がけに、帰着するのである。或る人から噂として聞いたことだが、大塚氏は人と対談しながら、相手の言うことを書き止めておいて、その次会った時に違ったことを云うと、この「資料」を持ち出して来て、君はこの間こう云ったじゃないかと検言し始めるそうだ。無論之は相手によることだ、私でさえ時々そういう対談法の必要を感じることもある程だから、大塚氏にして見れば不思議なこととも思われないが、その真
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