のである。
 社会の表面に現われた秩序が今日のように固定化されて来ると、今までは家庭が社会からの避難所であったと逆に又社会が家庭からの開放だったりしたのが、今度は家庭自身が社会秩序のただの一延長になり、或いは同じことだが、社会全般が云わば家庭主義社会というようなものになって来る。ここで親孝行と云ったような日本の身辺道徳が、社会道徳のイデオロギーにされたりするのだが、こういう社会では、社会へ向って伸びて行こうとする子供も、全く家庭化された善良な家族の一員として終始せざるを得ないように、段々なって来るのである。――そういう事情の一つの現われが家庭の親達を入学試験の受験責任者にするのであって、旦那様は外で働き、奥様は家庭の取り締り役に任じ、坊ちゃんやお嬢さんはママと女中とが育てると云ったような、中産以上の社会層に見られる所謂家庭らしい秩序の外面を保っている家庭では、子供の入学試験、試験地獄は、もはや子供のものではなくて、お産や病気と同じように、全く家庭の日常の主婦的な心配事と相場が決って来ている。
 で、小市民層以上のパパやママが、試験地獄を気に病めば病む程、実は却ってそれだけ試験地獄は深刻
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