家の資産や地位によって決定される部分が多い。そこで、自然と良家の娘が集まる学校が、結婚率が高くて結婚年度が低い学校となり、女学校を嫁入り仕度に数えている家庭にとっては、そうした学校が良い学校となる。知能上の素質の高い学校に這入れなくても、良家の子女の通う学校ならば、見栄から云っても女らしい野心から云っても満足だということにもなるのである。だがそうは云っても、同じ嫁を貰うならば頭のいい方がいいに決っている。処が女は女学校以上の学校に進む者が男程多くないのであって、仮に素質が善くて学資に不自由しなくても社会的な又家庭的な惰性で、上の学校を望まない者が多いのだから、この社会では女の頭の良し悪しを間接にテストする標準が甚だ不足なのだ。それだけ女学校の成績というものが見合の一部分となるのだが、それは結局女学校出身の出来る出来ないの評判に帰着するのが現状のようだ。そうなるとやはり入学試験落第率の高い出来る女学校が嫁入り仕度としても概して良いわけになる。無論そういう「出来る」女学校も嫁入り資格を閑却する筈はない。出来るだけ良家の子女の内から優良児を選ぼうと考える。
こうして一般に女学校では、入学志
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