いる子弟だというので、社会が教育を志すことから入学難が生じるのである。――教育から階級的意味が消え失せる時には、所謂秀才教育からもその弊害が消え失せるだろう。今日の入学志願者の偏在は金や資本の偏在のようなもので、大きく云えば資本制自由社会の必然的な一結果だとも云えるのである。
 尤も特に女の児の場合などになると之にもっと複雑な事情が加わる。と云うのは良い学校という意味にもう少し複雑なものが加わるのである。今日の処、女学校は普通、嫁入り仕度の一つに数えられているのは否定出来ないようだ。中産階級層以上の教育ある男の妻となるには、その知識はとも角として(女学校の授ける知識は大して社会的通用性から云って問題にならぬ)、その趣味やイデオロギーから云うと、どうしても少くとも女学校卒業者でなくてはならぬ。処が、男の方は少くとも先頃までは、主に頭の能力によって出世も出来世渡りも出来就職も出来ると想定されていたが(実は必ずしもそうではなかったのだし又益々そうでなくなりつつあるのだが)、女の方の出世であり世渡りであり又就職である、嫁入りは、今の処何と云っても、当人の知能的能力ばかりでなく容色や品や乃至は実
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