発生した自然現象について生じるという特性を有っている。商売に失敗して首が廻らなくなったということでは、あまり同情の対象にはならぬ。お説教の対象にはなっても人間の道徳的皮膚感触を触発するものではない。之に反して火事で焼け出されたり不慮の病気で食えなくなったりしたのは、同情の一等優秀な模範的な対象になる。病気など実は大部分一つの社会現象なのだが、之を同情の対象とするためには無理にも之を人間界の一つの自然現象にして了わなければ、どうも都合が悪い。
 つまり同情というのは、社会現象ならばお説教すべき処を、自然現象として見るのでお説教の代りに持ち出されるものなのだ。病気でも多少科学的に取り扱い出すと、病人の日常生活に対する医者先生の養生法の説教一つきりになるのであって、又之を天帝や為政者の怒りや不徳の致す処にして了えば再び天帝や為政者の責任問題になって了うので、いずれももはや同情の対象ではなくなって了う。同情とは「自然現象」に対する社会人の原始的な反作用である。
 処で東北地方の凶作飢饉がなぜ現在このようにセンセーショナルな同情[#「同情」に傍点]の対象になっているかというと、単に世間の人達の意
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