い。そうすると農村金融というのは農村に金を貸してやることであり、そればかりではなく、農村に金を貸させてやることでもあり、又更に金を貸す能力を農村に授けてやることでもあるのだ。金を借りる方は問題にならぬ、農民は問題ではないからだ。農村の中にあって、或いは農村に対して、金を貸すことの方が農村金融の、従って又「農村問題」の問題なのである。
失業問題が農村問題に変ったのは、貧乏という生活問題が、金融という金儲け問題に変ったことに他ならない。農村問題が農民の貧乏問題だなどと思うことは、失業問題が一般大衆の貧乏問題だと思うことと同様に、飛んでもない馬鹿正直な善良さだろう。
では農民の貧乏はどうして呉れるかと云うだろう。併し何遍も云うが、農民が貧乏するのは当り前ではないか。農民が貧乏しなかったら、彼等はもはや農民ではなくて地方地主や農村資本家だ。だから農民に就いてはその貧乏は問題ではない、丁度資本家に取って資本所有は初めから当然で問題にならないと同じである。農民に就いて問題になるのは、その貧乏ではなくて、ここでも亦専らその教育なのである。農村の農村問題は別として、農民の農村問題は「農村教育」問題
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