って来た。
処で五月三日の新聞になる。東京朝日新聞は輿論[#「輿論」に傍点]が増々高まって来たことを報じている。日本地歴学会の大森金五郎氏等は「墳墓発掘は日本国民思想に影響を及ぼすことが大きい」というところから、全国の史跡保護の運動を起し、学会の名を以て内務省や文部省に取締の請願を始めたし、神奈川県の史跡調査会は対策協議会を開いたし、例の日本地歴学会の某氏は「史跡荒しの墳墓発掘は社会風教上遺憾なり」として、検事局に向け教授を墳墓発掘罪として告発することになったそうである。
発掘事件は遂々、社会風教問題に、思想問題にまでなって了った。初め僧侶達は、墓石窃盗の被害を、史跡の蹂躙という名によって権威づけたが、今度は歴史家達は、史跡蹂躙を、更に思想問題という名の下に権威づけて了った。私はオヤオヤと思ったのである。
それから三四日経って、東朝の「鉄箒」欄に、村岡米男という人の投書がある。それは頂門の一針として一寸痛快なものである。この人の云う処によると、百八矢倉に行って見ると、これが大切な墓かと思うような保存は以前から一つもされていなくて、墓は倒れ埋もれて全く見る影もないように前からなって
前へ
次へ
全402ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング