逐艦がやって来るのを見ても、不敬事件と同じで、矢張直接軍部に関係しなければ話しはおさまらないのだ。
さて以上見て来たようなトラブルスは、是が非でも膨脹しなければならぬ日本としては、或いはその膨脹を是が非でも合理化させねばならぬ日本としては、当然我慢しなければならぬ処のものである。だがただのトラブルスならば我慢するのは大したことではなく、単に心懸けの問題に帰着するかも知れないが、そのトラブルスが同時に非常に金のかかる(十二三億円もかかる)困難だとすると、夫は容易ならぬ困難だと云わねばなるまい。日本はその膨脹のために、或いはその膨脹の合理化のために、今やこの到底普通の民族では忍び得ないような天才的な困難を忍んでいるのである。ソヴィエト・ロシアは割合明朗な気持ちで、洒脱に戦機を逸脱して肩をすかしてやって行けるらしいが、中国の国民になるともはや決してそのような楽な気持ちではない、身をかわすにさえも膏汗がにじみ出るのである。処が日本の国民も亦、同様にこの到底忍ぶべからざる困難を耐え忍んでいるのである。して見ればつまり、日支国民はお互い様ということになるのである。併しそれにも拘らず日本帝国そのものは膨脹して行くのであり、中華民国そのものは萎縮して行くのである。
尤もあまりの困難に耐えかねて、時々不吉なうめき声を出す不心得な日本人がないではない。併しそんな女々しいうめき声は、甚だ豪勢な怒号で一たまりもなく吹き消されて了う。東京の某大新聞記者町田梓楼氏は、市内の数カ所と信州の教育会とで「非常時日本の姿」について講演したが、在郷軍人会は之を反軍思想で赤化宣伝だと云って大声で怒号し始めた。該新聞社に町田罷免を迫ったり紙上謝罪を要求したり、果ては該新聞紙不買同盟を決議したりしている在郷軍人分会やファッショ政党もあるらしい。町田氏は在郷軍人会側の誤解を解くべく、心境を吐露した文章によって、日本の対外的活動に対して何故諸外国から文句をつけられるのか、ということの冷静な科学的な認識こそは、困難を出来るだけ少なくして国運の発展を円滑ならしめるものだ、と説いている。
だがそういう弁解はもう役に立たない世の中だ。或いはまだ役に立たない世の中だ。何しろ日本は今、膨脹することだけが商売なのだから。農民問題、失業問題、その他何々、それはまあ後廻わしにしようではないか。諸君××××××よ!(一九三五・七)
[#地から1字上げ](一九三五・八)
[#改段]
大学・官吏・警察
一、杉村助教授の場合
東京商大の哲学者、杉村広蔵助教授は、学位請求論文(商学博士の)「経学哲学の基本問題」を同大学へ提出した。同助教授は助教授とは云っても年配や有名さや何かから云って方々にあるかけ出し助教授(つまり昇格した助手)とは異って、云わば堂々たるものなのだし、それに学内に於ける評判と人気も大いに良い方なので、多分誰でもこの論文は教授会を通過するものと思って怪まなかっただろう。当人だって、そう思えばこそ提出したので、帝展や院展、二科の出品などでも多少はそうかも知れないが、大体を瀬踏みをしてからでないと、学位論文はウッカリ出せないものである。
尤も杉村氏のような場合、生え抜きの商大人なのだから、特別の瀬踏みの必要もないように思われもするのだが、併し、仲々そうは行かないらしい。元来ブルジョア学者の学問が公平無私で「客観的」であることを以て、即ち不偏不党の中立主義であることを以て、「科学的」だと称されているのは、世間周知の通りであるが、併しその結果、それだけにブルジョア学者そのものの人柄に就いて云えば、主観的で分派主義的で、即ち非科学的な人物が少くない。公平無私で客観的で科学的な「学術論文」を、この私党的で主観的で超科学的な惧れのある学者から出来ている教授会の渦中に引っぱり出すのだから、「学術」なるものも決して安心してはいられないのである。
論文の審査員は経済畑からの高垣寅次郎教授と哲学畑からの山内得立教授であり、この二人が之を「学術的」に学位に値する(即ち大学院卒業程度乃至夫以上の学力あることの証拠)と認めて、教授会にかけた処、不思議なことに、いや果せる哉、出席教授二十一名の内、賛成十四票、賛成でもなく不賛成でもなくそうかと云って棄権でもない処の白票が七つ、という結果になって了った。規定の四分の三の賛成者を得ることが出来なかったので、結局この論文は教授会を通過しなかったのである。
そこで驚き且つ怒った杉村助教授は、一方辞表を提出すると共に、論文を岩波書店から出版するに際して、その序文にこの不通過の顛末を書くことにしたそうである。まだその序文を私は見ないから、どういう点に氏の忿懣が集中されているか判らないのだが、助教授団や先輩団が、この問題をキッカケにして教授団攻撃や佐
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