が、小柄で精悍で当るべからざる快漢であった。この間実に久しぶりに顔を合わせることが出来た時、矢張当時の変らない面貌が躍如としているのが愉快だった。
そういうことはどうでもいいが、山田氏が地代論に就いては推しも推されもしない権威を広く認められているに拘らず、一二の特別な雑誌其他を除いては、あまり普通の評論雑誌ジャーナリズムの上で筆を執らないため、或いはあまり有名でないかも知れぬと思って、特に読者の注意を喚起しておくのである。大学を罷めた理由については、深く知らないし、又やたらに穿鑿するのも考えものだと思うが、何か左翼運動に加わっていた学生に金か有価証券を貸してやったというようなことに由来していたようだ。
九大の法文学部は最近までいつも教授間の騒動が絶えない処だが、思想問題の名目で九大の所謂左翼的教授(向坂・石浜の諸氏)がやめる前に、木村(亀二)・杉ノ原・風早・滝川・佐々其他の一連の若冠教授達が、喧嘩両成敗の意味もあって馘になっている。まだ大学に赴任しない内、ヨーロッパに留学中のこの教授達が、パリーのレストーランかどこかで教授会議を開いた頃から、風雲が急だったそうで、それが遂に爆発したのだと云われている。併し恐らく之は必ずしも普通の意味での勢力争いや何かではなかったらしく、案外学術の研究態度の内容にまで這入った一種の思想問題が最後の原因ではなかったろうかと思う。現に結局残ったものは藤沢親雄氏というような人物だったので、この人も最近になって九大をやめたが、それは追い出されたのではなくて「日本精神文化研究所」の所員に出世した結果だったのだ。誰に聞いても、思い切って悪口を云われている人だから、今ここに重ねて説明することを差し控えるけれども、少くとも氏がこの頃唱えたり説明したりしている皇道主義というものは、もう一段と技巧の余地があるのではないかと、私《ひそ》かに私は考えている。
木村氏は最近まで牧野英一教授の研究室の人で、現に法政大学の教授であるけれども、実は法政には過ぎ者の教授の内に数えられている。私の知る限りでは、刑法学者らしく又社会学者らしく頭の整理された人であって、曽つて雑誌に発表したサヴィニーの研究や、「多数決の原理」の論文は、仲々示唆に富んだものだった。木村氏と喧嘩をしたのは同じ刑法学者の風早八十二氏であるが、これは九州を追われると上京していて、中央大学につとめていた処、法学全集で治安維持法の批判をやったのが発禁になると共に、総長の原××が検事のような態度で追い出して了ったようだ。当時所謂「インタ」や「産業労働時報」を出していた唯一の大衆的調査機関だった「産業労働調査所」に這入り、貧窮のドン底で仕事を続けていたと聞いている。やがて地下に潜って検挙《あ》げられた人だ。死刑廃止論の古典であるベッカリヤを訳して詳しい研究をつけて出版したことは、記憶されねばならぬ。それから杉ノ原氏は上京後日大の講師をしていたが、シンパ網の中心として挙げられたことは有名である。杉ノ原氏との関係から一網打尽にやられた教授は決して少なくないようだ。
同じく九大を追われた滝川政次郎氏は、東京で三つか四つの大学の教授か講師をしている間に、中央大学でだったと思うが、法学博士になって了った。多少とも左翼的色彩を持ったことのある人で後にこういう社会科学方面の学位をとったことは、異例に数えられる。かつて左翼のシンパとも目された人で医学博士になった人(例えば安田徳太郎氏)はないではないが、それでも京大の太田武夫氏などはそうした種類の単なる懸念が理由で、文部省から医学博士を認可して貰えなかった。滝川(政)氏が博士になれたのは、多分同じ法制史でも日本の法制史の研究だったからではないかと思う。いずれにしてもこの滝川博士がこの間満州の新しい法律専門学校の教授として、赴任したというから、目出度い。
私の記憶の誤りでなかったとすれば、杉ノ原氏の件に関係して検挙された教授に、商大の大塚金之助氏と日大の羽仁五郎氏とがいる。経済学史家としての大塚氏の能力は世間周知のもので、挙げられる直前まで最近のヨーロッパの詳しい経済学史乃至経済思想史を改造誌上で展開して、読者、特に相当水準の高い学生達に大いに期待を持たれたものだ。(氏は学生読者層に人望のある点で平野義太郎氏と好一対だという話だ。)河上博士がその説得力に富んだ健筆を振えなくなり、資本論の飜訳も中途半端になっている時だったから、河上博士の或る意味での後継者としての氏の位置には特別なものがあったのだ。尤も河上博士の一種悲壮に近い闘志に充ちた筆致に較べると、大塚氏のは一種ホロ甘い蒸気につつまれているので、その印象は説得的であるよりも咏嘆的だと云ってもいいかも知れない。一つにはこの福田門下の偉才は同時に優れた詩人であり(氏のゲーテ研究
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