だというよりも、寧ろ自分で子供に試験準備をさせている当の親達の意識から出た言葉なのである。年はも行かぬ頭の柔かい子供達を不自然な残酷な準備に駆り立てながら、そうすることが、不可避な必然性と、客観性とを有っているということを知っている親の目には、之は全く地獄の名に値いする。誰も地獄に墮ちたくて墮ちるものはないのだが、墮ちざるを得なくて墮ちるのが地獄の神学的な意味ではないか。で、受験者は当の子供なのだが、受験責任者[#「受験責任者」に傍点]は、受験の責任を最も直接に感じるものは、却って親達自身なのである。苦しめた者が自分であって見れば、それだけ成功させてやりたいというものではないか。
 子供の方は場合によっては案外試験を気にしていないかも知れない。親達がある学校を受けろというから受けて見るので、受験責任者は親達の方だと思っている子供も少くないかも知れない。とに角一等心配しているのが親達だということは平凡なようだが見逃すことの出来ない一つの事実である。そうしてこの事実は年と共に著しくなって行く。この頃では中等学校の入学試験ばかりではなく、帝大の入学試験にまで、大きな子供(?)につきそってやって来る母親があるそうだが、之は何も帝大の入学試験が困難になって来たからではないので(以前は高等学校の入学試験でさえ、父兄がついて行くなどという珍風景は見られなかった)、それだけ受験責任者が、受験者自身から父兄乃至親達に、即ち又家庭そのものに移行したことを示すものであり、それが中等学校の入学試験から段々と高い処にまで及んで、遂に最後に大学の入学試験にまで現われたに過ぎない。こういう意味に於て、最近、試験地獄は、親達の責任に移行しつつあるのである。
 従来は、男の子など、父親の社会的地位や職掌からは比較的独立に、子供は子供なりに新しい運命を開拓すべく入学を志望する、という意味が相当に活きていたのに、最近の社会ではそういう新しい未知の運命を開拓するなどということは例外な場合か空想としてしか許されなくなった。受験者たる子供の家庭の家庭的及び社会的条件が、自然と圧倒的に入学希望の内容を決めざるを得ないように、世の中がなって来たのである。重役の息子は重役に、平社員の子は平社員になるように稼業の程度がもう一遍世襲的(?)になって来るように見える、入学試験の責任者が親達へ移行したことの原因はここにあるのである。
 社会の表面に現われた秩序が今日のように固定化されて来ると、今までは家庭が社会からの避難所であったと逆に又社会が家庭からの開放だったりしたのが、今度は家庭自身が社会秩序のただの一延長になり、或いは同じことだが、社会全般が云わば家庭主義社会というようなものになって来る。ここで親孝行と云ったような日本の身辺道徳が、社会道徳のイデオロギーにされたりするのだが、こういう社会では、社会へ向って伸びて行こうとする子供も、全く家庭化された善良な家族の一員として終始せざるを得ないように、段々なって来るのである。――そういう事情の一つの現われが家庭の親達を入学試験の受験責任者にするのであって、旦那様は外で働き、奥様は家庭の取り締り役に任じ、坊ちゃんやお嬢さんはママと女中とが育てると云ったような、中産以上の社会層に見られる所謂家庭らしい秩序の外面を保っている家庭では、子供の入学試験、試験地獄は、もはや子供のものではなくて、お産や病気と同じように、全く家庭の日常の主婦的な心配事と相場が決って来ている。
 で、小市民層以上のパパやママが、試験地獄を気に病めば病む程、実は却ってそれだけ試験地獄は深刻化して行くことになるのだ。子供達がこの試験地獄から解放されるためには、彼等は入学試験から解放されるよりも先に、家庭から、家族の一員としての隷属から、解放されなければならぬ。夫はつまり日本の[#「日本の」に傍点]「家庭」というものが従来の魔術を失うことなのだ。(一九三五・二)
[#地から1字上げ](一九三五・三)
[#改段]


 免職教授列伝


 免職大学教授として有名なのは、東大の所謂三太郎と九大の佐々、向坂、石浜の三幅対だろう。この人達は今更私は述べようとは思わぬ。尤も今では前者の中、大森氏だけは後者の三幅対と一つになって四人兄弟となっているが、その代り、山田勝次郎氏が京大の農学部助教授を追われて、平野・山田(盛)の二人に加わったから、所謂左翼に三郎[#「三郎」に傍点]が揃ったわけだ。世間周知の通り、山田(勝)氏は東大の臘山政道教授の弟で、以前の「ソヴェート友の会」やその後の「日ソ文化協会」で主になって働いていた綺麗な山田夫人の夫君であるが、高等学校時代には農学部の予科(当時高等学校は帝大予科であった)にいたので私の方は先方を先輩として顔を知っていた。剣道の副将か何かだったと思う
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