の「危機」に直接関係のあるロンドン海軍軍縮予備会談が開かれようとしている。軍備平等権の確立と差等比率主義の撤廃というスローガンを掲げた山本代表が、国民の景気のいい歓呼の声に送られながら出発した。之より先、陸軍は第二次国防充備の五カ年計画のために、明年度以降五カ年総額六億の要求を大蔵省に提出している。ソヴィエト・ロシアに対抗するためには是非之だけは必要で、今日のロシアは日露戦争時代のロシアとは打って変って強くなっているからというのである。尤もこの要求は、この間の思わぬ関西風水害のおかげで政府の総予算の圧縮が必要となったため、明後年度からに延期されることになったが。
 風水害が軍縮会議にどう影響するかは、今の処一寸材料がなくて判らないが、とに角軍部にとってこの風水害は色々の間接直接の影響を与えている。云うまでもなく夫は当然なことだ。この風水害は単に関西地方の軍需工業生産能力の数パーセントを一時的に失わせたばかりでなく、旱魃、冷害、水害による凶作に、更にもう一つの決定的な拍車をかけた。それが軍部と何の関係があるかと云うかも知れないが、この凶作を見越した米価の極度の騰貴は、持米を売り払ったり食いつくして了ったりしている全国の貧農民(ブルジョアジーは之を農村[#「農村」に傍点]というロマンティックな名で呼んでいるが)にとっては、さし当りの連帯的な損害にしかならないわけで、それに繭のレコード的な安値までが手伝って、この頃農民をクシャクシャさせているのだが。壮丁や在郷軍人までがクシャクシャし出しては国防上の大問題ではないか。
 それだけではない、この風水害は、容易に神輿を挙げそうになかった岡田内閣に、遂々臨時議会を開くことを余儀なくさせた。政党も之でどうやら活気づくだろうが、それだけ軍部も一働きしなければならぬ秋が意外に早く来たわけだ。
 こういう条件が与えられているのを眼の前にして、陸軍は陸軍新聞班の名を以て、十月一日付のパンフレット『国防の本義と其強化の提唱』を発表した。世間がこの種のことをウスウス予期しないではなかっただけに、却って鋭いショックを受けたのは尤もだろう。このパンフレットは十六万も印刷したというが(こんなに多数印刷されるパンフレットは民間ならば珍らしいことだ)、私はまだ実物を見ていないのが残念だ。だがその要点に就いては新聞が相当詳しく報道しているから、夫を信用していいだろう。
 第一に、国内問題は国防の見地に立つと[#「国防の見地に立つと」に傍点]、農山漁村の更生の問題として現われる。現時の農山漁村の窮迫は、農村物価の不当並びに不安定・生産品配給の不備・農業経営法の欠陥と過剰労力利用の不適切・小作問題・公租公課等農村負担の過重と負債の増加・肥料の不廉・農村金融の不備(資本の都市集中)・繭絹糸価格の暴落・旱水風雪虫害等自然的災害・農村における誤れる卑農思想と中堅人物の欠亡・限度ある耕地と人口過剰等に起因しているというのである。原因も結果も物質的地盤もイデオロギーも、国防の見地に立てば一列横隊に並ぶらしく、例えば農山漁村の窮迫は、農山漁村生活の不振に起因する、と云ったような項目を要因として挙げておけば、もっとこの横隊が完全になるかと思うが、夫はまあどうでもいいとして、かいつまんで云うと、これ等の原因の大半が都市と農村[#「農村」に傍点]との対立に帰納せられるというのである。つまり農村の窮迫は都市の責任だというのである。読者は陸軍の全知能を傾けて帰納した結論として、この断案を尊重することが国防上必要だということを忘れてはならぬ。
 だが都市と云ったって労働者街もあれば貧民窟もある。大邸宅もあれば大官衙もある。それは同じく農村と云ったって大地主もいれば農奴に等しい小作もいるのと変らない。もし万一労働者やルンペンが大地主の責任だというようなことがあったとしたら、農村は逆に都市に対して責任を取らなければならなくなるだろう。処が実際都市の人口の多数を占める労働者やルンペンやその候補者達は、云わば大地主が手ずから都会へ送ってよこしたような連中に他ならないのである。そうするとどうも、都市と農村との対立ということ程ナンセンスなロマンスはないだろう。農村が都市を相手取って、小作問題を起す心配もないし、農村金融の不備が資本の都市集中だというのも変で、農村金融の不備は寧ろ農村高利貸の善意の不備(?)などにあるのではないか。資本が都市に集中するのを羨しがるのは[#「羨しがるのは」は底本では「※[#「義」の「我」に代えて「次」、185−下−4]しがるのは」]農村に於ける資本家(?)のやることで、軍部ともあろうものが夫に相槌を打つべき筋合いではない筈だ。で、軍部は世間の「誤解」を招かないように農村[#「農村」に傍点]というような曖昧な言葉を避けなければい
前へ 次へ
全101ページ中67ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング