のである。例えば代議士の職業別を見ればこのことは明らかで、「無職」代議士は決して少くあるまい。けれどもルンペンで代議士というのを見た人はないだろう。それと同じに、職業があったって食えるとは限らない、登録労働者こそその良い例なのであって、月に五日や六日日庸されたところで食える筈はない。だから、云って見れば、失業労働者の登録は、失業者の文字上の定義に従う限り、単に失業者をそれだけ帳簿の上で削るためであり、又実質上の失業者として見れば、却って、月の二十日か二十五日間を失業するということに就いて、登録承認保証されることに他ならない。食える食えないは結局どうでもいいので、出来る限り多数の人間を社会の職業体系に編入することがこの目的で、即ちそうやって社会秩序[#「社会秩序」に傍点]を少しでも堅固にしようというのである。
 失業を単に登録されただけで失業を解消させて見せるこの紙上観念論(Paper−idealism?)の奇術の、選ばれた少数のモデルとなることは、登録労働者の甚だ迷惑な名誉であるかも知れないが、併し個々の登録労働者にして見れば、登録されない場合に較べて、無論良いに決っているから、之は極めて大事な一身上の利害だ。
 処が七月二十五日東京は突然、登録労働者の賃金(一円六〇銭乃至一円三十五銭)を八月一日から約六分五厘値下げすることを発表した。理由は内務省から来る補助費が減額されたからというのである。そこで驚いたのは例の二万余の登録労働者の諸君であった、早速代表三十名を先頭に約百名の者が即日市庁に押しかけて牛塚市長に面会し、労銀値下げ反対その他の要求を含む要求書を提出して陳述する処があった。その際定石通り丸之内署からは二十余名の警官を同じく市庁に押しかけさせたが、どう間違えたか代表と市長との面会を斡旋しつつあった黒田市議が、処もあろうに市庁それ自身の事務局控室で、例の警官達から「打つ蹴る殴るの暴行」を働かれたというのである(東朝七月三十一日付)。丸之内の署長は「市会議員ともあろう人を殴るようなことは絶対にないと思います」と推定しているが、(登録労働者なら殴られたかも知れないらしい)、市会議員であろうと無かろうと、人を殴るということは日本では悪いことになっているのだから、この署長の言うことに間違いはない筈だ。
 黒田市議は廊下ででも滑ったらしく足を傷けたそうだが、他の市議等と共に、痛い足を引きずりながら東京地方検事局に平田次席検事を訪ねて、取りあえず口頭を以て、藤沼警視総監・丸之内署警部井上徳三郎・同署特高係高林定太郎氏等を、傷害罪と涜職罪で告訴告発したというのだが、殴られもしないのに傷害罪や涜職罪で告訴するというのは全くおかしい。いずれこの点に就いては丸之内署かどこかから、適当な弁明があることと思う。
 数日後公娼廃止反対の陳情で、女郎屋の亭主達三百名が内務省と警視庁に押しかけたが、これは別に負傷者を出さなかったらしい。併しとに角、事毎に警察官と大衆との間へ疎隔を来し勝ちなのは遺憾至極と云わねばなるまい。何とか両者を、丁度労資協調や労働争議強制調停の精神のように、理想的に協調させる途はないものかとかねがね考えていた処、今では大分前になるが東京警察後援会というものが出来上ったのである。確か原嘉道氏が発企人の筆頭で、私などにも加盟を求められた事があったかと記憶するのであるが、その時私はなぜ賛同の意を表しておかなかったか一寸理由が判らないが、処がこの折角の警察後援会自身がまた、警察を相手にして問題を起して了ったのだから、始末が悪い。
 後援会は警察を後援する心算で、優秀な警官並びに警官類似の行為のあった少数の市民に対して、感謝状と金一封とを贈るの会を、二十五日警視庁内で挙行した。之は前に内務大臣賞を優秀警官に与えたことの真似だそうで、警察を後援しようというのは、それが後援である以上大衆でなければならないが、その大衆が内務大臣の真似をすることは少し出過ぎた行為だったかも知れないが、それはとに角として、その席上、後援会の理事である矢野恒太氏が、ウッカリ一種の感違いをして脱線挨拶をして了ったのである。
 矢野氏は云ったそうだ、「諸君に贈呈する賞与は決して泥棒や殺人犯人の製造を奨励する意味はない、最近若手司法官が遣り過ぎるとの世評があり、警視庁も些細な事件をほじくり過ぎる傾向があるようである、今後は何でも彼でも巡回中に犯人を捕えねばならぬという意識を捨て、剣の音をさせながら歩いて、警官がよく廻ってくるから悪いことをすれば危険だということを感じさせて、漸次自発的に罪を犯さぬようにさせる位にして欲しい」(東朝七月二十八日付)云々。――実際にはどんな風に言ったのだが判らない処もあるが、とに角以上のような言葉が甚だしく警視庁の主脳部を憤慨させたらしい。警視
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