。併し噂によると文部省のあの種類の暗闘は、古くからの伝統であって、何も驚くことはないそうである。
大蔵省には黒田閥というのがあったそうだがそれが今度の××問題で動揺し始めて、大臣や内閣は青息吐息だが、世間では却って省内の事情に関して思わぬ知識をこの事件から提供されたので面白がっているようだ。大蔵省に較べれば仕事がズッと乏しくて、そしてズッと観念論的でお説教的な内容に富んでいる文部省では、益々閥や私党の対立が暇つぶしとしても必要かも知れない。官吏のウダツが上らず、最近までは、逓信省などに於ける放送協会などのような古手官吏の捨場もない、沈澱官吏の溜りである文部省にして見れば、例えば関屋閥というようなものがあったにしろ、少しも不思議ではないのである。そこへ内務官吏型の武部が登場して来たとすれば、衝突は先天的に必然的だろう。
暗闘にどっちが善いも悪いもないかも知れない。訴訟事件に現われた限りでは関屋局長の方が不利なようだが、それは偶々そういう暴露が思いがけない天災のように落下して来たからに過ぎないので、之で烏の雌雄は決りはしない。だから当然「喧嘩両成敗」ということになる。まず関屋社会教育局長は、日本精神文化研究所員となり、そこの所長となることになった。
文部省の古手官吏には捨場はないと云ったが、古手官吏の捨場はなくても、不良官吏の捨場は出来ているわけだ。日本精神文化研究所というのは今度出来た思想局の伊東局長が勢力扶植のための予算取りと、鳩山文相の議会に於ける答弁用とに造ったものだとさえ云われているが、名前は研究所でも之は必ずしも研究をする処ではない。少くとも日本精神文化などを真面目に研究する処ではないようである。その証拠には、今まで多数の有名な学者に所長になることを頼んだが、どれもハネツケられたり注文に合わなくて立ち消えになったりしている。研究機関ではなくて良く云えば教悔機関、悪く云えば思想警察機関なのである。この頃では各府県庁に支所めいたものが置かれているので、どこにどういう怪しげな先生がいるかは、掌を指すように判っているということだが、要するに研究と云えばそうした「研究」をする役所であって、少くとも日本精神文化を研究する処ではない。
関屋旧局長が教育行政に就いてどんなに博学であろうとも到底日本精神文化の研究者の代表的な学者とは世間で認めないだろうが、別に研究家でなくても研究所員になれる「研究所」なのだから、この点不思議はないのである。だが文部省内に置いておけないような札付きの官吏だからして、ここの所長に最も適任だということは、どうも少し不思議な推論ではないかと思う。他のものはとに角、「思想」に限って不良[#「不良」に傍点]官吏によって最もよく善導[#「善導」に傍点]出来るのだとすると、善導の「善」という言葉には余程妙な、世間の道徳意識では一寸理解し兼ねる特別な意味があるのかも知れない。
だがどの途お役所のお役人のことであるから、世間の普通の文化水準から見るのでは見当違いになるかも知れないと思っていると、今度は文部省は相手方のもう一人の「不良」官吏を田舎の大学の学長にすることに決めたということである。では矢張吾々は世間並みの文化水準から物を見、物を云わざるを得なくなる。例の武部普通学務局長は一躍広島文理科大学学長にまで昇格して左遷されたのである。一体帝大や官立大学の総長や学長は官等は局長などより上かも知れないが、余程の例外でない限り、局長級の呼び出しで文部省へ出頭して、局長級に軽く顎であしらわれるのが習慣になっている。今や武部局長はこうした不名誉極まる栄転を余儀なくされているらしい。
無論武部局長は容易に広島赴任を肯んじない。そればかりではない、広島文理科大学自身が武部氏は御免蒙るというわけである。従来総長や学長は大学自身が推薦する人物を文部省が任命する習慣なのだから、文部省天下りの学長は困るという建前である。前から辞意を洩していた吉田学長も上京すれば、学生代表も上京して、文部省当局や武部氏自身と折衝を重ねたが、武部局長自身は寧ろ広島大学側の主張に賛成なわけで、両者が一致して文部省に当るという奇観を呈している。処が最近文部大臣と文部次官とは遂々武部局長を広島赴任ということに説得し得たというので、広島大学の反対を断乎として斥けて、武部学長を送ると号しているのである。大学にして見れば、文部省に置いて困るから学長にして送ってやるというのでは、全く腹の立つことだろう。
処が学生代表の声明書なるものを見ると、「昨春の学生大会は、わが文理科大学の後任学長として西晋一郎博士を最適任と信じ吾等は是が実現の一日も速かならんことを熱望すと決議し、……実に西博士は創立以来わが学園のもつ我等が指標にして畏くも教育者に賜りたる勅語の『健全ナル国
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