ぬ事態と考えて声明書を出すことにした、というように説明して除けたが、斎藤首相はどう思ったか「軍部の声明書発表について私は何等相談にもならねば発表後報告にも接して居らぬ」と答弁したものである(読売一月二十五日付)。そこで追求は愈々急となったので問題は秘密会に移されることになり、結局政府が泣きを入れてこの追求は打ち切って貰うことにしたのである。例の「少壮将校」連がこの生意気な追求に憤激したことは云うまでもないが、海相などは、亀井貫一郎代議士にキメつけられて、将来かかる事を材料として声明書は出さないという弁疏をさえさせられることになったのである。
次に問題にされたのは軍人の政治干与の件である。軍人が政治に干与することは、云うまでもなく明治大帝の賜わった軍人勅諭の精神に反するもので、取りも直さず軍紀の甚だしい弛緩を意味することは、昔から明白なことなのだが、小川郷太郎代議士は今更らしくこの点に就いて、勇敢にもダメを押している。問題は貴族院の方にも廻って行って、大河内子爵は同じく軍紀問題を追求し、兼ねて軍部の言論圧迫を攻撃するということになって来た。荒木陸軍大臣が風邪に罹ったばっかりに実に大変なことになったものである。
林陸相はそこで陸軍の統制に対して次のような方針を有つものだと報道されている。一、陸軍部内において軍人で軍務以外の内政外交に関して調査研究するのは支閊えないが、部分的に対外意見を発表することは絶対にいけないこと。二、調査研究の結果必要と認められるものは大臣及び次官まで意見を具申すること。三、大臣及び次官は必要によっては之を政府部内に持ち込み、或いは適当な方法を採って善処するが、大臣又は次官と雖も猥りに対外、対社会的な発言はすべきでないこと(読売新聞二月二十八日付)。それだけではなく林陸相はこの旨を師団長会議で詳細に訓示しようということを、衆議院の治安維持法改正法案委員会の席上で口約しているのである。尤も大角海相の方は、今更判り切ったことを訓示でもあるまいということで、こうした訓示は思い止まったようであるが。
軍部はこうやって、軍人の政治的言動に対して、この議会で、可なりに気がひけているらしいが、同時に軍人の政治的言動が、逆に世間人の軍事的言論を呼び起こしているという事実にも、気がひけ始めたらしい。で、陸軍省は海軍省と共同して、内務省と外務省とを加えた四省会議を開き、戦争挑発出版物を積極的に取締ることになった。但し全面的な取締りは言論出版の圧迫となり、却って国民の理解力を稀薄にする恐れがあるという理由で、特殊のソヴィエトとかアメリカとかの国家を目標とする戦争挑発物の出版及び記事と当局の意図のように推定されそうなものや国民や列国を惑わせるような戦略戦術の出版及び記事とだけを、部分的に厳重に取締ることにしたそうである。軍人の政治理論や社会理論が世間人に取って迷惑至極であるように、世間の素人戦争、ジャーナリスト達の戦争論や戦略戦術論は、軍部に取ってさぞ有難迷惑だろう。だからお互いにバカな真似は止めようではないか。というのが、林陸相達の方針であるらしい。(折も折、文壇の荒木陸相を以て目されていた直木三十五氏が死んだ。おかげで帝国文芸院の成立やその大衆文芸班に相当する「日本国民協会」の発展などは、さし当り一寸心細くなって来たようである。但しそのお膳立てをする任務を某方面から委任されていると云われる松本警保局長は益々健在で、荒木や直木の損失を補って余りあるかも知れないのであるが。)
政治家や評論家に云わせると、こういうような具合だから、日本の社会情勢は可なり自由主義の方向へ傾いて来たのだというのである。なる程例の一九三五、六年の危機とか、又非常時とか云う掛け声も、質問が出たり半畳が這入ったりしては気抜けがせざるを得ない。吾々は初め軍人達の号令に従って、わが国の対外政策、外交を景気づけるために非常時非常時という掛け声を掛けていた処、広田外相が出て来て云う処によると、こういう掛け声は実は広田外交にケチをつけることにしかならないらしい。荒木外交を実行するために登場して来たのが広田外相かと思ったら、荒木陸相は風邪を引いて了って、広田外相だけが健全なようである。そう考えて見るとどうも軍人の勢は衰えて、リベラリズムの世界が近づいて来たのかも知れないという気もするのだ。
処が軍人の勢力をそんなに見縊ってはならないのである。軍人にも色々あって、現役は云うまでもなく問題ないとして、在郷軍人や青年団や青訓生其他の「壮丁」と呼ばれるものが都市や農村を通じて充満している事実を見逃してはなるまい。例えば、東京朝日新聞社の主催で陸軍省の後援による全国優良壮丁市町村の調査が最近発表されたが、調査の項目は徴兵成績、身長、体重、其他であって、要するに一種の身体検
前へ
次へ
全101ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング