転向が「本当」だということはもはや疑う余地もなく保証されているのである。
 併し新聞が伝える限りでは、この新しい主張がなぜ正しいかという点に就いては云うまでもなく、こういう転向の過程がどう理由づけられているかも一向説明されていない。そして唯々「共産主義を蹴飛ばし」「ファッショに転向」したという、一種の託宣めいた結果だけを、繰り返し繰り返し報道しているにすぎない。こうなると新聞は妙に不親切なものである。
 尤も新聞は同時に吾々に一つの希望を与えることを怠ってはいなかった。例の七項からなる上申書「思想転向の要項」の全文と「緊迫せる海外情勢と日本民族及びその労働者階級」(副題、「戦争及び内部改革の接近を前にしてのコミンターン及び日本共産党を自己批判する」)という八項からなる声明書とが検事局から出版されることに決ったということを新聞は報じているのである。この出版物が読んでも判らない程度に伏字になったり、発禁になったり、しないことを吾々は衷心から希望せざるを得ないのであるが、とにかくこの出版物が吾々第三者の立場にあるものの疑問を解いて呉れる唯一の希望だと考えられた。こうして新聞は鮮かに「本当」の報道の責を検事局に転嫁して了ったようである。
 処で、検事局の責任編集になる両巨頭の例の文書が早く出ればいいがと思っている矢先、吾々は思いがけぬ福音にありつくことが出来た。というのは、本誌と『改造』とが逸早く、佐野学、鍋山貞親の原稿全文「共同被告同志に告ぐる書」を掲げているのである。この福音は、新聞記者からでもなく検事局からでもなくて、雑誌編集者の驚嘆すべき手腕から来たことは明らかである。吾々は編集者が、私信のやり取りさえ困難な刑務所内からこの貴重な政治的論文を獲得して来た精励の程に、又この論文を殆んど一字の伏字もなしに印刷した英断の程に、敬服せざるを得ないと共に、一体之は原稿料を払っているかしらという、一寸世帯じみた連想も起こすのである。というのは、同じ原稿がこの二つの雑誌に印刷になっているらしいからである。之は普通の原稿ではあまり見受けない現象だ。
 この文章又は例の「要項」の摘要に対する批評は山川均氏(『中央公論』)や青野季吉氏(『読売』)等の「左翼民主主義者」達から、相当コッピドク敢行されているから、両巨頭の思想がどこで間違っているかということは、否どこで正しいということは、読
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