授候補を××したわけである。天下のリベラリスト達はこの点に就いて、わが文部大臣に深く感謝の意を表しているのである。ただこの感謝の意志が、声明書や抗議書や文相辞任勧告というような不遜な形態を取って現われているに外ならない。文相はこれ等の意志表示が、感謝以外の他意のあるものでないことを深く諒とすべきである。
[#地から1字上げ](一九三三・七)
[#改段]


 転向万歳

   一、転向万歳!

 六月十日の新聞では、一斉に、佐野、鍋山の「両巨頭」の転向が報じられた。佐野巨頭の動揺は去年の十月頃からだそうだし、鍋山巨頭の動揺参加は今年の一月頃だと、宮城検事正は語っているから、多分当局は永らく希望にワクワクしながら、固唾《かたず》を飲んでこの日を待っていたことだろうと思う。花々しく蓋が開けられた時、左翼の陣営にはどんなに痛快な大地震が揺れることだろうかと。
 実際、左翼の陣営などにはいない処の私の如きは、この記事を見て全く驚いて了ったのである。驚いて了ったのは無論私だけではあるまい、大抵の人間は少くともすっかり驚いたことだろうと思う。――何しろ、新聞が要点をかい摘んで教えて呉れる処を見ると、彼等両巨頭が、突然、日本民族の優秀性やアジア民族と世界資本主義との対立、対支那及び対アメリカ戦争の積極的肯定や天皇制の強制、其他其他を主張し始めたというのである。ロシアにもどこにも行ったことのない吾々は、コミンテルンというものがどういうものかは良く知らないけれども、少くとも共産主義[#「共産主義」に傍点]というものは、凡そこうしたファッショ的テーゼの正反対をこそ主張するものだと思っていた処だから、全く途方もない「転向」もあったものだと思ったのである。世間の人達が、これをファッシストによってディクテートせしめられたものに違いないと信じたのに無理はない。
 処がその日の夕刊を見ると、無産弁護士団が、この両巨頭を市ガ谷刑務所に訪問して、二人が「顔色一つ変えず」に、夫が本当だと断言するのを聴いて来たと報じてある。そして刑務所帰りの弁護士達の写真までがその証拠として掲げられている、ということは即ち新聞に出たことが決して「デマ」ではないということである。と同時に、この転向がファッショなどにディクテートされたのではなくて、完全に自発的に「心境の変化」を来したことに由来するものだということになる。で
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