り上げることにする。
羽仁五郎氏は日大をやめたのだが、併し氏は別に日大教授が生活資源ではなかったろうから、「免職教授」の資格に於ては勝れていない。氏は高等学校時代に村山知義氏と並んで校友会雑誌に小説を書いていた頃から顔を知っているが、当時から典型的な秀才だった。ドイツへ行ってリッケルトの門下となったように憶えているが(当時は村山も死んだ池谷信三郎も皆ドイツへ行った――マルクが馬鹿に安かったから)、歴史哲学のようなものに興味を持っていたためだろう。その地で三木清氏と会って大いに許し合ったらしい。帰朝直後クローチェの歴史哲学を訳して吾々を啓発したかと思うと、意外にも東大の国史に這入って、そこで忽ち学生から教授達までを魅了して了った。専門の著書も二三はあるし、学術的な評論集も出たし、飜訳校訂も少なくないが、一等永久に残る仕事が平野義太郎氏等と衝に当った『日本資本主義発達史』の講座であることに、世間では異論はあるまい。自由な身体になってからは、あまり身躯の具合がよくないらしいが、併し保養しながら落ちついてユックリと研究の出来る身の上だ。
旧く森戸事件の森戸氏に就いては知らない人はない。大原社会問題研究所員として、左翼の人達からはとや角云われながらも、昔ながらの自由主義者として(尤も森戸事件はアナーキストたるクロポトキンの紹介が原因だったが)、この特別に緊張した反動時代に、筆を振っている。早稲田を出た大山郁夫氏(尤も氏はそれ以前にも早稲田騒動で学校を止めたことがあったそうだが)は、アメリカで健在だそうである。この「吾等の委員長」が日本に帰れる日はあまり近くはないようである。滝川問題乃至京大問題の滝川幸辰氏のその後の消息に就いては、私は全く知らない。京大事件で退職した法学部の教授達(佐々木惣一博士を筆頭として)は大部分立命館大学に鞍がえしたから、正当な意味での「免職教授」の内には這入らないかも知れない。この教授達は現在、寧ろ前よりも活溌な位いに、立命館大学の機関誌上で活動している。
処で当時時を同じくして、同志社事件というものが発生した。京大問題で京大の学生其他が上を下への運動や動揺の最中、突然、同志社大学の法学部の住谷悦治氏と長谷部文雄氏、それから予科の松岡義和氏、の諸教授が検挙されたのである。ことに住谷氏や長谷部氏は殆んど何でもなかったのだそうだが、それがどういうわけ
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