から来た恋文が出たという話を披露した警視庁は、府会で、将来はこうした私行の暴露を慎む旨の、言質を取られている。
 こうなって来ると、問題は、警察当局の検挙行為に対する批判に変って来るのである。思うに教育界が、飲食店やダンスホールと同じに、警察に取っては最も手頃の手答えのある活動場面であることが判ったためだろう。社会は先生[#「先生」に傍点]に対して、特別な道徳上の迷信を有っている。この迷信がこの際、警察権を道徳的に色揚げするには百パーセントの効果を有っているのである。

   二、風紀取締

 学校の先生は尊敬されているが、ダンスホールの先生は軽蔑されている。世間の道徳意識によると、学校教育は神聖だが、ダンスホールは怪しげな卑しいものだ。そこで、ダンスホールに手を入れることも亦、こうした道徳意識を刺※[#「卓+戈」、127−上−3]して、警察権を道徳的に色揚げするには持って来いでないだろうか。蓋し軽蔑されているものの弱点を摘発することは、尊敬されているものの欠点を指摘すると同じ程度の、喝采を博するもので、どれも相手を低めて相対的に自分を高める意識を伴うから、良心の慰安になるわけである。警察権はこれによって、民衆の良心を自分の身方につけることが出来る。
 そこで、不良ダンス教師を洗って見ると、良家の不良マダム達が、面白い程続々として登場して来る。どうせ下等なものだと思って洗って行くと、意外にも「上流社会」の弱点がそれに連っていることが判って来たから、世間の道徳家は一石二鳥の思いで、喜び始める。この頃「上流社会」はどうしたことかあまり評判がよくなく、何とかしないと均衡上から云ってもまずいのだが、併し上流社会の男のやっている仕事を問題にし始めると、色々のさし障りも出て来るし、又好色な世間の道徳家達を刺※[#「卓+戈」、127−上−18]するのに適当でないのだが、幸いにして、良家の不良マダム達が登場して来て呉れたものである。
 不良ダンス教師の対手というのは、別に無邪気な少女や世間を知らない処女などではなく、人情に精通した有閑マダム達なのだから、彼女達の行為に就いては充分彼女達自身に責任を帰せさせることが出来るわけで、従って不良ダンス教師は「色魔」でも何でもない筈であるが、如何に不良だとは云え、美しい上流の婦人達なのだから、当局のギャラントリーから云っても、之を保護しなけれ
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