字である。主として対ソヴィエト・対アメリカの外交政策が問題になったらしく、新聞には色々と書いてあるが、結局の処吾々に判る処は、何か無理に抽象的な報道だけだから、今の六十五字の方が却って五相会議の発表された限りの真髄に当るわけである。
 民政党はこの時に当って、一寸異様な要求を政府に提出している。それは、政治経済の革正・教育制度の改善・思想善導・その他も大事だろうが、それより今大事なのは人心の安定で、それには言論自由[#「言論自由」に傍点]が何より大切だから、之を保証しろ、というのである。言論の自由が封鎖されているもんだから色々な流言飛語が乱れ飛ぶので、夫が社会不安の本質だというのである。この「社会学」はとに角として、民政党には(そして多分政友会だってそうだろう)大変言論の自由が必要であるように見える。――処で五相会議は内政国策会議[#「内政国策会議」に傍点]へ続くのであるが、この会議に這入るに際して、陸軍は自分の「対内国策」に対する浮説を否定して非公式に声明している。「最近世上に陸軍の対内国策案に関し、各種の浮説が喧伝せられ、世人に衝動を与うることも尠くないようであるが、陸軍としては対内国策については国防の見地から慎重なる研究を為してはいるが、なおこれを発表するの機に到達しておらないのみならず、従来世上に陸軍案として発表せられたものは、全然陸軍に関係のないものであることを言明する」と(読売新聞十月二十六日夕刊)。
 なる程こんなに浮説が色々浮んでいては、人心全く不安なわけで、或いは言論の自由も少しばかり必要になるかも知れない。併し実際には、現に言論は全く自由なのである。例えば陸相は、日本が皇道精神を世界に宣揚することによって、世界平和の方策を自主的に提唱すべきだと論じたと報じられているが、之は全く自由に充ち充ちた溌剌とした言論ではないだろうか。之に対して外務省当局や消息通が、極東モンロー主義(国際連盟の脱退をそう呼ぶのだそうである)を自ら放棄するものだとか、徒らに国際政局を刺※[#「卓+戈」、124−上−10]するものだとか、批評することは、又彼等の自由[#「自由」に傍点]である。この世界平和論と五相会議の内容とがどういう関係にあるのか併し吾々には判らない。
 とに角五相会議は終結して、世の中は内政国策会議の時代に這入った。先ず何から議論しようかということ自身がここ
前へ 次へ
全201ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング