黷驕B世界観上に於けるこの理想主義が、存在論上に於ける唯心論と等価物であることは明らかである。
吾々は、かりに哲学一般の構造を三つの段階に分けることが出来よう。第一に最初に来るものは世界観、第二に存在論、第三に最後の認識論(乃至論理学)。そこでこの三段階に相応して、唯物論は夫々、現実主義・唯物論・実在論となる。之に反して唯心論は、理想主義・唯心論・観念論の一列の系統をなすと云うのである。
(多くの哲学者は吾々が先から「存在論」と云って来た箇所に、「形而上学」という言葉を入れ換える。併し吾々は形而上学という言葉を、も少し外の連関に於て用いる必要があるので、特に存在論という言葉を選んだ)。
欧州の哲学――そしてそれが今日の吾々の哲学である――に於て、唯心論(以下特に断らない限り観念論、理想主義を含む)が最初に最も意識的となって前面に現われたのは、ソクラテス(〔So^krate^s〕)に於てであった。自然の代りに人間が、社会が、道徳が、哲学の名に値いする中心問題でなければならぬと、この偉大なソフィストは考えた。この理想主義的(それは当時のギリシア社会の行き詰りからの反発なのだが)世界観は、プラトン(〔Plato^n〕)によって唯心論的存在論にまで、体系化された。プラトンは現実世界と理想世界との対立を鋭く意識せざるを得なかったその世界観を、まず第一に感性界と超感性界との対立として組織立てた(二世界説)。感性界は物の世界であり、超感性界は観念―イデア―の世界である。前者は転変極まりなき世界であり、後者は永遠の世界である。前者は却って固有の形をもたぬ質料(後世の言葉で云えば)の世界であり、後者は固有の安定した形が成り立つ形相(エイドス―イデア)の世界である。秩序なき質料の世界は、彫塑的な形相によって初めて調和ある秩序を与えられる。そこに初めて、真と美と善の―価値の―世界が拡げられる。で感性界の事物は、超感性界のイデアに、則《のっと》らねばならぬ。現実の事物は、イデアによってのみ、存在することが出来る。存在の原理は、存在は、単なる存在ではなくて、観念・イデアであるということになる(Idealismus なる名は茲から出て来る)。
プラトンのイデアは併し、それが主観的なものでなければならぬことを少しもまだ自覚していない。イデアこそ却って世界の彼岸に存する客体であると考えられた。イデア・観念を主観にまで結び付けたものは(多くの変遷を辿った結果であることは抜きにして)、聖アウグスティヌス(St. Augustinus)であった。キリスト教的信仰の体験にまで来て初めて落ち付くことの出来たアウグスティヌスは当然なことながら、事物の価値の判別を、それが内面的であるか外面的であるかに置いた。蓋し内面的なもののみ宗教的体験の名に値するのである。だが内面的なもの、それは意識である。かくて観念は意識となる。イデアは意識にまで主観化される(今日の欧州語 〔Idea, Ide'e〕 は茲から来る)。かくて変質された唯心論はスコラ哲学の底を潜って、近世の初めにデカルト(R. Descartes)に現われる。デカルトの有名な哲学方法によればまず一切のものは疑われてかからなければならない。だが疑うということ自身、即ち私が疑うということ自身、は疑うことが出来ない。私が意識するということ(我考う―cogito)は疑えない。そうすれば少くとも私がある[#「私がある」に傍点](sum)ことだけは確実でなければならない、そういう結論に到着する。今や意識は単なる意識ではない。それは意識する自我の有つ限りの意識でなければならない。観念の概念は自我の概念に集注する。
しかしデカルトの「我考う」に於ては、自我は単に表象しているに過ぎない、それはまだ判断する自我にはなっていない。観念は意識であり自我が有つ意識であるが、その意識がまだ判断意識にまで行かずに単に表象意識に止まっている。自我はまだ真理の定立という大切な任務を与えられていない。カントはそこで、この意識を意識一般にまで改造する。蓋し意識一般とは、客観的な真理を(夫は併しカントにとっては、唯一な自然界と等値物である)、成立たせる資格を有った意識である。意識はもはや単なる表象ではなくて表象の多様を統一する統覚であり、それが客観の規準として機能する点で、先験的統覚となる。このように先験的意識の論理的機能に専ら任じるものはカントの諸範疇なのである。之は客観にぞくするのではなくて、正に主観にぞくするものであるが(観念性)、併しそうかと云って、主観の任意に委ねられるのではなくて、主観自身が自ら則るべき規則を意味するから却って客観性を有つ。凡そ認識の(又カントに従えば存在成立の)客観性は、意識の、主観の、自我の、持っている観念性にのみ、根拠を見出すことが出来る。之がカントの先験的(批判的)観念論なのである(観念論は先天主義 Apriorismus に結合する場合が多い。カントやライプニツの例が夫である)。
観念はフィヒテ(J. G. Fichte)の自我に至って恐らく最高の王座に据えられる。彼に於ては自我はもはや単なる表象意識でもなく判断意識でもなくて、行為意識となる。観念は、意識は、自己意識(自覚)となる。ドイツ観念論は正にフィヒテの事行(Tathandlung)の概念に至ってその極点に達する。之によれば存在は・事実は真の存在ではない。真の存在は存在ならぬ活動である。この活動は存在という主体を持たない純粋な活動であり、働くこと自身の外に存在ということはない。だから事実即行為(事行)だというのである。そしてこのフィヒテの自我の体系は、カントの先験的観念論の必然的発展なのであった。ヘーゲル(G. W. F. Hegel)によって、フィヒテの自覚は神的な世界精神に、宇宙理性にまで発展せしめられる観念は、ここでは最も含蓄ある意味に於ける精神(Geist)として把握される。だがそれと共に観念(Idea)は従来何と云っても之に付き纒っていた主観という意味を脱して却って客観的なものにまで転化する(客観的精神)、否、観念は終局に於ては主客の対立を具体的に止揚して――フィヒテやシェリング(F. W. J. v. Schelling)は主観の対立を抽象し去ったに過ぎなかったが――絶対的となる(絶対的精神)。之は観念がその行く処まで行き着いて了ったことを意味するだろう。ここにはすでに観念自身の譲位が、観念論の終焉が、用意されている。人々は之をドイツ観念論の終焉として、ヘーゲル哲学体系の崩壊として知っているのである。蓋しヘーゲル哲学はドイツ観念論の総決算であり、そしてドイツ観念論は従来の観念論の総決算であったから――かくて唯心論は唯物論にまで必然的に転化しなければならなかった。
併し吾々は残余の唯心論の二三の特色あるものに就いて語っておく必要がある。第一はライプニツ(G. W. Leibniz)の単子論(Monadologie)。単子(モナド)は意識(表象)的乃至精神的単位であり、夫々の個性をもつ。ここから観念論は個性の哲学として後世に伝えられる。アリストテレス(〔Aristotele^s〕)から系統を引くこの個性の哲学は、ヘーゲルに於ける理性の現実化の思想によって消化される。第二はバークレーの独我論(Solipsismus)である。大陸のライプニツの対蹠の位置にあったイングランドのロック(J. Locke)から始まる経験論は、ベーコン(F. Bacon)やホッブズ(Th. Hobbes)の唯物論の発展であったにも拘らず、バークレーの徹底的な唯心論を結果した。彼によれば存在するとは知覚されるということである。知覚の結合を外にして存在や世界はない、一切のものは観念(Idea)に過ぎないというのである。之は観念論の戯画として特徴的であるだろう。観念論をこの戯画から救け出したものはカントの先験的観念論(批判主義)であった。第三に今日有力な観念論を吾々は、ベルグソン(H. Bergson)の形而上学、フッセルル(E. Husserl)の現象学、新カント学派の価値哲学、ディルタイ(W. Dilthey)の生命哲学、などに於て持っている。今日の代表的な唯物論―マルクス主義哲学―は之等の唯心論と対峙し、之に対する批判を課題として課せられていると考えられる。
最後に、観念乃至意識は、知的なものと考えられる場合と意志的なものと考えられる場合とがある。前者は主知主義(Intellektualismus)の観念論であり、後者は主意主義(Voluntarismus)の夫である。プラトンを初めデカルト、ライプニツ、バークレー、カント、ヘーゲル、フッセルル等は前者にぞくし、ショーペンハウアー(A. Schopenhauer)、メヌ・ド・ビラン(M. d. Biran)などは後者にぞくする。そして、また主知主義は直観主義(Intuitionismus)に結び付いている。フッセルルやベルグソンがそれである。
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[#中見出し]唯物論 ユイブツロン 【英】Materialism【独】Materialismus【仏】〔Mate'rialisme〕.[#中見出し終わり]
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存在論の一つの立場で、唯心論と対立する(「唯心論」の項参照)。世界観としては理想主義に対立し、認識論としては観念論に対立する。世界観としては、理想が現実の必然的発展でなければならないことを強調し、もしそうでない理想をかかげる立場があるならば、夫はユートピアを夢想するものだとして斥ける。現実から出発する点に於て現実主義とも云うことが出来よう。この現実主義が不当に極端化されると併し、夫は現実との妥協主義又は物質生活の無条件的尊重主義ともなることが出来る。俗には往々唯物論という言葉をこの最後の意味に用いる。併し之は真正の唯物論とは殆んど何の関係もない。却って唯物論的世界観は、思想が希望に燃えている時や(ギリシアの自然哲学)、新しい理想に駆られる時(フランス啓蒙期の唯物論)にこそ、発生したのが事実である。認識論としては、唯物論は多く経験論(Empirismus)に結合したり(ホッブズ Th. Hobbes の場合)、感覚論(Sensualismus)に結合したりする(エルヴェシウス 〔C. A. Helve'tius〕 の場合)。(無論経験論や感覚論自身は唯物論ではない。ロック J. Locke の経験論はバークレー G. Berkeley の唯心論を結果したし、コンディヤック E. B. Condillac の感覚論はメヌ・ド・ビラン Maine de Biran の唯心論を結果した。)唯物論が之等のものに結合出来るのは、之等のものが実在論に帰着する場合に限る。認識論としての唯物論は―観念論に対する―実在論である。さてこのような現実主義的世界観及び実在論的認識論は、存在論としての唯物論の等価物でなければならない。
唯物論的存在論は一般に、物質を以て精神を説明する原理と考える。或いは同じことに帰着するが、物質が即ち狭義の存在だと考える。種々なる唯物論の相違は、この物質の概念の如何によって、又物質を以て如何に精神をも説明するかによって、与えられる。
古代ギリシアの哲学――人々は夫を古代ギリシアの自然哲学と呼んでいるが――は唯物論として始まった。タレス(〔Thale^s〕)に於ては存在の原理は水であった(尤もこの水は今は吾々の持つ水の概念ではないが)。それは何と云っても何かの意味の物質に外ならない。水は存在の原理であると共に、否あるが故に、又存在の生成の原理でもなければならぬ。存在の運動を与えるものも亦この水である。この物質は運動の動力を自らの中に持っている。人々はこの唯物論を物活論(Hylozoismus)と名づける。物活論的唯物論はギリシアに於ける代表的な唯物論者デモクリトス(〔De^mokritos〕)の単位物質―アトム―の思想となって現わ
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