o来ない人物。就中政治的指導者の第一人者としてレーニンを推すならば之に並ぶべき理論家はプレハーノフ[#「プレハーノフ」は底本では「プレハノフ」]を措いて外にない。タンボフ県に生れ、学生時代から夙にナロードニキ(人民主義者)の群に投じて革命運動に参加し、後『土地と自由』誌に拠って有力な活動を試みた。一八七八・九年のペテルスブルクのストライキに刺戟されて同誌上にロシア労働運動に関する論文を発表しているがそこに於てはまだナロードニキ風のイデオロギーを捨て得なかったに拘らず、すでにマルクス主義的鋒芒が現われているのを見逃せない。之はまだ彼がマルクス・エンゲルスの文献を読んでいない時のことである。マルクス・エンゲルスの著述に親しんで愈々真正のマルクス主義者となったのは、一八八〇年西ヨーロッパに亡命した以後であり、この時始めてナロードニキのイデオロギーを完全に脱することが出来た。一八八三年『社会主義と政治闘争』を著す。翌年アクセリロート(P. Akselrod)、ドイッチュ(L. Deutsch[#「Deutsch」は底本では「Deutseh」])、ザスーリチ(V. Zasulich)と共に、ロシ
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