_理であって、近代の科学的研究法の精神と全く異っている。第二に夫は、従って又演繹の論理を中心とする点に於て、(但しアリストテレスのオルガノン自身に於ては決して演繹だけがオルガノンの全部ではないことを注意する必要がある)、近代自然科学の自然観察の精神に基く論理と相対立したものを示している。
尤も彼の所謂論理なるものは、後世普通に理解されているような意味に於ては、そして又そういう極端な形に於ては、決してただの分析論理でもなければただの演繹論理でもない。寧ろそうしたものと、総合論理・帰納論理との、複合・混合物だったと見ていい。之を純然たる分析的演繹の論理にまで仕上げたのは、実はスコラ哲学なのであった。実際スコラ哲学は主としてカトリック教理の組織立てとそれの解釈を中心課題としていたから、この哲学乃至神学に必要なオルガノンは、アリストテレスの名に於ける分析的演繹論理で充分だったのである。――所謂形式論理はそれ故実はアリストテレス自身のものではなくて、スコラ論理から始まると見るべきである。アリストテレス自身は存在を運動に於て捉えようとする根本的な試みに於て、(彼自身の用語に反するが)弁証法家の一
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