V聞・産業新聞・宗教新聞・大学新聞・文芸新聞・等々は後者にぞくする。之は社会性を発揮する部面が普遍的か特殊的かの相違であるが、時事性が社会性に止まるか或いはプロパーな意味での政治性を発揮するかの区別は、日本の例で云えば、小新聞と大新聞との区別となる。小新聞は主に社会の市井事を報道することを目的とし、之に反して大新聞は政論の用具であったが、独り日本に限らず今日はこの小新聞が資本主義的大新聞として発達し、政治的批評機能に富む所謂大新聞は、ブルジョア新聞紙としては事実上は小さい新聞紙となっている。かつて大新聞にはブルジョアジーの社会的政治的「輿論」を代表するという政治的役割があったが、今日のブルジョア新聞に於てはこの役割は全くの単なる扮装としてしか残っていない。そして最後に、社会性政治性そのものの内に、近世の階級社会に於ては判然とした対立があるので、そこからブルジョア新聞紙とプロレタリア新聞紙との区別が現われる。ここで問題になるのはもはや単なる輿論や何かではなくて、新聞紙とその読者層との政治的文化的イデオロギーなのである。現代の新聞現象に関する最後の問題はここにあるのである。
ブルジョア新
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