アとが出来る。さてそこで、報道と広告との連関はすでに述べた通りであるが、報道乃至広告とこの批評との連関を述べることが必要である。実は報道それ自身がその意図と効果から云って一つの批評的機能を有っている。ニューズの選択、書き方、載せ方などは、すでに一定の批評的態度に基かざるを得ない。逆に批評記事が一つのニューズに他ならぬことは云うまでもない。又広告の本質は元来自己推薦にあるが、そのためには一定の自己評価を下して見せねばならぬ、云わば之は一種の自己批評であり、或いは少くともその形を取らねばならぬ。批評自身は逆に又、広告の機能を営む場合がある。夫は主に新聞社組織或いはその背景をなす一定の資本、或いは広く資本主義社会そのもののために、宣伝の役割を与えられた時などである。
新聞現象の根本規定は時事性にあると云われている。時事的とは世界の刻々の歴史的運動に現実的に沿うた活動的な観点を意味する。時事性の内容は第一に日常性である。日々(刻々・年々・月々)条件を新たにする事物の動きに就いて、その日々の特殊性を指摘するためには、日常性の原則が必要である。之は超時間的な形而上学的原則の[#「形而上学的原則の
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