ウれることを許さない。云うまでもなく両者のこの関係は決して簡単でなく又単純ではないのだが、この関係への注目を一貫することによって初めて、自然科学の生命が、その本質と運動とが、実質的に理解出来る。自然科学の発達が、個々の天才人の天才的能力や、又は人間一般の理性や悟性やそう云った精神の発現に負う処は大きいに相違ないが、そういう精神力の発現自身が、なぜそういう内容となって又そういう時に、行われねばならなかったかが、技術学上の根拠に立つのである。そしてここにこそ自然科学の具体的内容があるのである。もしそうでなくて、単に精神的な表現だと云うならば、自然科学はなぜ自然科学となって芸術や何かにならなかったかが説明出来ないだろう。社会主義も日本主義も同じく頭脳の産物には相違なかろう。だが頭脳の所産だということは何等社会主義の説明にもならず日本主義の説明にもならぬ。社会主義が日本主義と異る所以《ゆえん》、即ち社会主義が一つの思想[#「思想」に傍点]である所以は、それが頭脳の所産であることにあるのではなくて、正に社会人の生活の物質的根拠に照応している処にあるのである。
処で技術学は云うまでもなく社会に於
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