蛯ニして新聞・雑誌・単行本・冊子・ラヂオ・レコード・ステージ・スクリーン等ジャーナリズム・プロパーの乗具を通して与えられている。ジャーナリスト(記者・寄稿家・評論家――これは夫々別な規定である)は学校教育者と一般文筆家に跨って存在し得るが、学校乃至大学の教育にこの社会教育の主力たるジャーナリズム・プロパーを利用することは今日まで決して充分だとは云うことが出来ない。その原因の一つはブルジョア・ジャーナリズムが学校乃至大学に於てのような目的意識的な教育機能を有たずに殆ど全く社会に於ける自然発生的な所産であることにある。つまり市民的学校教育はブルジョア・ジャーナリズムをさえ敬遠しなければならぬほど、社会に於けるジャーナリスティックな使命から浮き上って行くという法則を持っていることが判る。
 ブルジョア・ジャーナリズムは之まで多くの場合、一つの矛盾を含んでいる。イデオロギーをその商品とすることによって、ブルジョア・ジャーナリズムはその本来の社会的使命であるブルジョア・イデオロギーを或る限度に於て犠牲にせざるを得ない。ここに各種の反ブルジョア的(自由主義的・社会主義的)イデオロギーの表現報道の余
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