蜍`(オーストリア・マルクス主義)にはアドラー M. Adler(1873−1937)やレーデラー E. Lederer(1882−1939)の社会哲学がある。クーノー H. Cunow(1862−1936)はラサール的な傾向を持ったマルクス主義的社会哲学者である。併し厳密に云えば、マルクス主義的社会理論たる唯物史観=史的唯物論は、決して歴史哲学ではなかったと同じに又決して社会哲学の名に適しない。現にそれは社会哲学や社会学から区別されて社会科学と呼ばれていることからもこれは明かである。併しその内部に最も優れた社会哲学的見地が潜んでいることは忘れてならぬ事実である。
 なお、政治学や社会学は云うまでもなく、経済学、特に古典経済学も亦一種の社会哲学から発生したことを忘れてはならぬ。ケネー F. Quesnay(1694−1774)もスミス(アダム)も社会に於ける人間の本性の研究から出発している。現代経済学者で社会哲学に親しいものとして例えばマクス・ウェーバー M. Weber(1864−1920)を挙げることが出来る。
 【教育的意義】  以上のように社会哲学なるもの乃至社会哲学的な要素は、特色ある殆ど凡ての社会理論の中核の一つをなしていると云っていい。したがって今教育が社会理論の一対象となる限り、あらゆる社会哲学が夫々教育に就ての一定のイデーを示唆することが当然である。プラトンによる哲人政治家の教育の理想(彼のアカデメイアやシラクサの学校やはこの理想の実現を目的とした)はその古典的な典型であろう。ルソーの自然主義的教育理論は勿論、彼の固有な社会文化理論にもとづいている。又例えばフーリエ F. M. C. Fourier(1772−1837)のコンミュニスト的ファランジュ phalange の試みは、幼稚園の起原の一つに数えられている等々。更にまた二十世紀の教育理論は社会学的・社会哲学的な基礎の上に立つことを特色としている。ナトルプの『社会的理想主義』やデューイの教育理論は今日の代表的な社会哲学的教育説と見做されている。社会学の成果を教育乃至教育学に適用した教育的社会学なども、元来社会哲学的観点に立っているが故に発生したものに他ならない。

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文献―L. Gumplowicz[#「L. Gumplowicz」は斜体], Sozialphilosop
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