う性質に止まるものではないし、又ああいう系統の単なる発展と見ることも出来ない。今日の科学論は、世界観や範疇や方法を中心とする普通の意味での認識論だけに制限されているのではない。それは科学政策・科学教育・科学精神・と云ったような他の一連の新しい現実問題をも同時に課せられている。而もこの二群の問題の間に、科学論としての統一が与えられているかというと、多くの場合そうではない。二群のものは一見別な問題のようにさえ見做されているのだ。二つを関係づけるにしても、ごく部分的なひっかかりから、わずかに関係をつけることに終始している場合が大方である。
実際ここには欠落した問題の環があるのである。と云うのは、終局の統一的な視点は別としても、前に云ったように、さし当り例えば、アカデミーの機能とジャーナリズムとの連関さえが科学論的な意味に於てはまだ解答されていないのだ。それから科学的啓蒙や科学大衆性の問題、つまり科学の階級性に発する諸問題は、何か忘れられているようなのだ。だがこの環を抜きにして、恐らく科学論の充分な押し出しは不可能である。つまり科学の階級性というような問題を、もう一遍真面目に取り出して見るの
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