をも揺り動かし始めていることを知らねばならぬ、と云うのである。
自然科学に関するこうした新しい姿の科学論が、唯物論乃至マルクス主義をめぐって問題を展開する他ないことは、今日の必然的条件である。今日科学論が、自然科学の思想化的傾向との連関の下に、思想的な時局性を以て登場・台頭して来た以上、この条件は必然であらざるを得ないのである。この点社会科学其の他の、初めから学問形態がやや社会的な塵にまみれ勝ちな場合と較べても、少しも変りはないのである。最近はゲシタルト理論を介して、心理学をめぐる科学論の発達は、重大な意義と豊富な未来を有つものだと思うが、ここでも亦、心理学の思想的[#「思想的」に傍点]通路への抜け出しを見とどけることが出来るだろう。
社会科学・歴史科学・は云うまでもなく、自然科学のこうした思想化的傾向なるものは、原理的に云えば少しも異とするに足りない当然なことである、それは勿論だ。併し吾々の云いたい処は、特にアカデミックな社会環境を持つ処の自然科学、而もブルジョア・アカデミーの自然科学、そればかりではなくこのブルジョア・アカデミーの殆んど絶大な国権的威力と共にでなければ存続出来ない日本の自然科学、之がこの数年来、著しく思想化的傾向を帯びて来た、という点だ。その原因はどこにあるか。つまり科学論が、殆んど一切の現代諸科学に渡って、学術的な足場と社会的な思想的実在性とを得ることによって、現在の文化的時局の顕著なトピックとなり得たのは、何に原因するのか。
一等手近かな原因として誰しも挙げ得るものの一群は、物理学・物化学・生理学・心理学・等に於ける新しい卓越した理論の簇出である。物理学に於ける相対性理論と新量子論とはその典型であり、心理学乃至生理学に於けるゲシタルト理論や生物論に於ける全態説論議などが之に次ぐものだろう。之が普通の意味での認識論の課題を提出することによって、前進的な第一線の自然科学者達を国際的に一斉に、科学論の検討へ向わせたのである。事実科学論的な検討を加えなければ、変革的な理論が伴いがちな混乱を整理することが出来ないからだ。日本の自然科学者も亦、この国際的な動向によって動かされたのである。
相対性理論や量子力学のような理論物理学上の仕事は、純粋科学的な内容のもので、産業や生産技術とあまり関係がないように考えられるかも知れないが、勿論実際はその反対で
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