の他と呼ばれるものがそれだが、併し之が三教の一つとして教学の本質を自覚するようになったのは、早くとも鎌倉時代、恐らくは室町時代からであろう(教学は教学としての自覚が大切なのだ)。真に教学としての神道に基礎をおいたものは江戸時代初期の儒学者である林羅山だと云われるのは興味のあることだ(本教・徳教・神教・大道・古道・帝道・という言葉はいつも古いが、この命名法は必ずしも日本的用語によるのではない。江戸時代に這入ってからは神学[#「神学」に傍点]という用語もある事はキリスト教神学やギリシアの神学と並べて見て面白いことだ)。
 教学は如何なる意味に於ても決して日本独特のものではなく、又東洋(支那と印度とを含む)に特有なものでさえもない。護神論時代・教父時代・以来のカトリック的精神に於てもなくはないものだ。だが、それが特に永く支配者の勢力を伝承し、且つそれだけではなく、生産技術乃至自然科学的(実用的自然哲学でもいい)と原則上無縁な発達をば永く遂げ得たものは、ヨーロッパではなくて東洋であり、そして夫が殆んど圧倒的に文化を支配すると共に、その文化そのものを高度にし高度の文化として之を伝承させ得たものは
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