である。日本を今日あらしめたものが併し必ずしもこの教学的精神でなかったということは、教学の先輩である支那の後れた事情を見れば明らかだ。して見るとこの精神は決して日本の発達にとって根本的な効能のあったものでないことが判る。而も今日、夫が何か大いに役に立ちそうに益々祭り上げられつつあるとすれば、恐らく刹那的で末梢的な効能をねらってのことであると断ぜざるを得ない。だから今日の教学的精神が如何にクルしいものであるかを思わねばならぬ。――だがかつて教学的精神の栄えた土地は概して東洋であり、古代印度と古代以来近世までに至る支那大陸である。之は何かの意味に於けるアジア的イデオロギーであろう。で今日、東洋的精神乃至日本的精神の伝統に於ける反科学的精神に基く残滓は、終局に於てこの教学の精神にまで追いつめられて行くだろう。いや今日の支配者的文化の指導者達は、みずからそこまで引き上げ、そしてそこに立て籠もるようになるに相違ない。
教学は時に宗教の形をとり、時に宗教から区別された道徳や形而上学の形をとる。宗教が神学的な形をとる時、必ず教学というカテゴリーを採用するのである。そして教学としてもっとも著しい嶄然たる特色を有つものは、東洋乃至日本の教学であったのである。そこにキリスト教神学による教学と、東洋的教学[#「東洋的教学」に傍点]との間の、多少の相違を吾々は見出すことが出来るだろう。東洋的教学は必ずしも反宗運動や無神論運動の網にそのまま引っかかるとは思われない。東洋的教学(キリスト教教学は勿論のこと)は云うまでもなく宗教的な本質のものであり、従って反宗・無神論の批判対象となるべき本質のものであるが、その現象形態は、よく云われるように必ずしも宗教ではなくて、儒教となったり、又単なる民族的習癖としてさえも現われる。仏教が無神論であるなどという説は今採るに足りないが、併し日本仏教の大きな文化的役割は単なる信仰としてではなくて、正に教学として遂行されたものであったことを忘れてはならぬ。印度哲学や仏教に於て知識と信仰とが一つであるとか云われるのも、単に教義の上の問題ではなくて、夫の歴史的変遷に於ける教学としての社会的文化的役割の問題であったことを思わねばならぬ。儒教が哲学であると同時に、実際的道徳教であるという類も、その東洋教学的な特徴によるのである。
由来宗教批判は唯物論の一貫した課題である
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