の他と呼ばれるものがそれだが、併し之が三教の一つとして教学の本質を自覚するようになったのは、早くとも鎌倉時代、恐らくは室町時代からであろう(教学は教学としての自覚が大切なのだ)。真に教学としての神道に基礎をおいたものは江戸時代初期の儒学者である林羅山だと云われるのは興味のあることだ(本教・徳教・神教・大道・古道・帝道・という言葉はいつも古いが、この命名法は必ずしも日本的用語によるのではない。江戸時代に這入ってからは神学[#「神学」に傍点]という用語もある事はキリスト教神学やギリシアの神学と並べて見て面白いことだ)。
 教学は如何なる意味に於ても決して日本独特のものではなく、又東洋(支那と印度とを含む)に特有なものでさえもない。護神論時代・教父時代・以来のカトリック的精神に於てもなくはないものだ。だが、それが特に永く支配者の勢力を伝承し、且つそれだけではなく、生産技術乃至自然科学的(実用的自然哲学でもいい)と原則上無縁な発達をば永く遂げ得たものは、ヨーロッパではなくて東洋であり、そして夫が殆んど圧倒的に文化を支配すると共に、その文化そのものを高度にし高度の文化として之を伝承させ得たものは東洋に於ても印度ではなくて支那であり(支那仏教と儒教)、そして最後に、それが現代の資本主義的撞着の真只中に於て有力な社会の文化的支柱となって愈々高められようとしているのは、他ならぬわが日本だけなのである。まことにそういう意味に於て、日本は「東洋文化」の盟主でなければならぬように思える。
 で一切の教学は恐らく日本古来のものではあるまい。だが今日の日本にとっては、と云うことは今日の日本の支配的文化、即ち今日の日本の支配者的文化、にとっては、教学こそが伝統的な文化の根柢でなければならぬのである。今日の日本そのものの文化が教学に基いていると云うのではない。日本の支配者文化からすれば、日本文化は教学に基かなければいけない[#「なければいけない」に傍点]、というのである。なぜと云うに、今日科学的精神は日本の支配者文化にとって最も都合の悪いものなのであるが、これに対抗するためには教学なるものが最後の奥行きの深そうな保塁と思われるからである。国民精神・日本文化・国民道徳・其の他は、もはやたのむべき武器とはならぬ。一切は教学という根本精神によって最後の編隊をせねばならぬ。かくて思想局も教学局[#「教学
前へ 次へ
全13ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング