―快楽は一つの原則である。快楽原理と呼ばれるものが夫だが、併し同時にあまりに絶対的原理でありすぎる。と云うのは、それが独立に徹底され得る原理であることによって、みずから自分を束縛せざるを得なくなるような、そうした原理の一つだと云うのである。快楽の原因は刺戟に置かれるのを普通とする。刺戟は反覆することによって逓減するのだから、一定質量の快感を保持するためには刺戟を限りなく増加しなければならぬ。だがそこには云うまでもなく限界がある。快感の飽和点がある。ここが快楽の危機であって、ここから快楽の浪費と快楽浪費そのものの不快な快楽とが生まれる。淫するというのは之を指すのだ。淫することは何も肉的欲情に限ったことではない、快楽一般の法則だ。この淫楽はおのずから自棄に通じ、やがてアンニュイに帰するものであるがこうなると、実はもはや快楽ではなくなって、前に述べた処の、あの退屈凌ぎや暇つぶしというカテゴリーに突入して来る。自棄的な暇つぶし、自暴的な退屈凌ぎ、ということになる。
 快楽は熱情的な積極性を有っている。確かに之は生命の原則の一つだろう。だがその積極性の無条件な徹底は、遂に慰安と休息さえのないアン
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