解くべく求められたか。この物理学の主な夫々のテーゼの有っている歴史的な苦心を抜きにして、いきなり出来上ったものをもち出されたら、記憶しようにも合理的な根拠を見出し得ないだろう。勢い暗誦というような無理な形になる。一体暗誦というものはヴェルギリウスかホラティウスの文章でも記憶する時の手段であって、文献学的なものであり、自然科学の精神とは一応別な系統のものだ。
 記憶ということは素養の能力として何より大切なもので、これに就いての認識論的又は教育理論的注目は割合薄いのではないかと考えられる。数学さえ本当の意味では記憶によるのだ。理解の能力と記憶の能力とは平行するのが普通で、理解したものは記憶出来るし、記憶出来たものは理解したものに限るのだ。本当の記憶にはだから、理性に対するクーデーターである暗記などとは異って、合理的な根拠が、心理的で且つ論理的な根拠が、ある。夫が歴史的な来歴・科学発達の苦心の跡、によって与えられる。単に之は記憶の合理的な根拠であるばかりではない。推理・予想・及び科学的なファンタジー(所謂オリジナリティーはここに基く)さえの、合理的な根拠だ。吾々が与えられている物理法則がどの
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