技術的精神とは何か
戸坂潤

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)強調したまずい[#「まずい」に傍点]例として
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 技術的精神は近代文化の根本精神であると私は考えている。それを説明したいと思う。ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』物語つまりオデュッセイア物語の主人公は、ディーダラスで、之はオデュッセイア(ホメロスのものと云われるあのオデュッセイア)に於ける主人公テレマコスに該当すると、評論家は云っている。処で土居光知教授によるとこのディーダラスという名は、ギリシア語のダイダロスの心算であって、技術を象徴するものだという。
 私はこの注意がどれだけの深い内容を有っているのか、よく知らない。併し古典ギリシアの現代的飜案(と云っては当らぬかも知れぬが)で、何か技術と関係のあるものが認定されているということならば、それは面白いことだ。ジョイスのこの小説は所謂意識の流れの文学として、近代的な主観や自覚(自意識)の分析に立つ点で、云うまでもなくモダーニズムの一種にぞくし、その雑然たる中の何等かの統一までが、よく近世生活のテンポに似たものを伝えるのであるが、それだけではなく何か技術的な或る物を連想させるものがあるとすれば、その側面からも亦近代的な意義を有つだろう。
 技術的精神とは何を指すのか、技術とどういう関係があるのか、そして技術と呼ばれているものが何であるか、しばらく後にしよう。少なくとも技術的精神という言葉によって、常識的に理解される若干のものは、あるだろう。併しそれならば、必ずしも近代に固有な精神であるとは限らない。又近代に於て初めて支配的になった精神であるとも考えられない。寧ろ例のホメロスのエポス時代からギリシアの哲学が分離独立した道徳となっているタレスは、他ならぬ技術的精神をその特色としていた。彼が世人の注目を買ったのは、天才や土木、軍事技術などに関する独特の才能であった。プラトンは彼を以て、星を眺めながら溝に落ちた人生の観照者として紹介しているが、もっと忠実な歴史家であるアリストテレスは彼を卓越した実業家乃至利殖家として紹介している。ギリシア哲学がバビロン・エジプトの技術学とどんなに密接な史的関係があるかは、科学史家や技術史家の想定する常識となっている。
 だから技術的精神をごく一般的に、又
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