ぬ。身体、精神、能力、性格、其の他其の他を統一した人間というものを、つまり社会の一員としての人間を、生産することである。
 生殖や出産は、生物としての人間を生産することであるが、育児から始めて学校教育、社会教育、自己教育に及ぶ所謂教育は、社会の一員としての人間を生産することである。之はただの物質の生産ではないという意味で、物の生産とは云い切れないが、併しやはり人間という現物を造ることだ。世間でよく云う「肚をつくる」とか「人間をつくる」とか、よりも、もっと現物的な現象だ。
 教育は人間の生理や社会環境に於ける自然の成長を補佐掖導するにすぎないから、別に改めて何かを造ると称するには当らないとも考えられるかも知れないが、併し人間のやる一切の生産は、凡て自然な発達や行程の補佐掖導以外に出るものではない。吾々は物質を造り出すことは出来ない。物質の形態を変更出来るだけだ。生産とは一般にそうした形態変更のことでしかない。――で、教育学も現物(社会的人間という)の生産を目標とするわけである。
 社会法則に関する科学も亦、社会を造るということが目標である。往々社会科学には実験は不可能だと云われているが、併し社会現象の典型的な出来事はすべて、実験としての意味を後から或いは外部から、持ち得るもので、それを別にしても、色々の実験が、実験としての自覚の下に、行なわれていることを忘れてはならぬ。例えば栄養食の研究は一定の集団的に規正された生活を営む人間達を材料として、実験的に行なわれる。造る処には必ず実験の役割があるのである。実験は生産と切り離すことは出来ない。
 話を少し戻して、では天文学(星学)は何を造るのが目標か、と云われるかも知れない。併し今日の原子物理学が星学的研究を離れては十分の意義を発揮出来ないことを考えて見るといい。手近かな例は宇宙線の実験的研究だろう。之は云わば実験的星学とでも云うべきものであるが、最近は電波の反射によって、地球に近い宇宙空間に浮動している莫大な微粒子群の存在を証明し得るということで、これなどは立派な実験星学である。――だから天文学も暦を数える一種の数学[#「一種の数学」に傍点]以上のものである時は、物質の製造という過程の一環になっているのだと云っていいだろう。
 今数学と云ったが、では数学は何を生産する心算か。数学は実は何も生産はしない。之は物を造るための認
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