現象学的還元に外ならない。現象学的還元を施さない時にのみ――それが自然的立場である――、存在の性格は保たれる。存在概念は一つのドクサ[#「ドクサ」に傍点](これが常識的概念にどれ程近いかを注意せよ)である。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* フッセルル同上、S. 114 参照。
[#ここで字下げ終わり]
存在は現象学に於て除外される、存在は存在の性格を失って意識の性格を有つ存在となる、そしてその限りに於てのみ存在は現象学にとって問題[#「問題」に傍点]となることが出来る。従って又実在は実在する[#「実在する」に傍点]限りに於てではなくして実在という現象[#「実在という現象」に傍点]として始めて問題となる機会を与えられる。現象学に於ては存在(従って又実在)の性格――存在ではなくして存在の性格――は意識の性格によって優越される(故に茲に於ては存在の性格[#「存在の性格」に傍点]は始めから問題となる機会を与えられていない)。今まで明らかにしたことはただこの一つの事柄であった。さて空間[#「空間」に傍点]はかかる存在[#「存在」に傍点]の性格にぞくす。空間は Tatsache
前へ
次へ
全124ページ中112ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング